"生き延びろ!"火星にただ一人残された宇宙飛行士の究極のサバイバルを描く『火星の人』は今年のナンバーワンSF小説ってことでいいと思う。

■火星の人 / アンディ・ウィアー

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

有人火星探査が開始されて3度目のミッションは、猛烈な砂嵐によりわずか6日目にして中止を余儀なくされた。だが、不運はそれだけで終わらない。火星を離脱する寸前、折れたアンテナがクルーのマーク・ワトニーを直撃、彼は砂嵐のなかへと姿を消した。ところが―。奇跡的にマークは生きていた!?不毛の赤い惑星に一人残された彼は限られた物資、自らの知識を駆使して生き延びていく。宇宙開発新時代の傑作ハードSF。

「生き延びろ!」。SF小説『火星の人』の描くものはたった一つ、不毛の惑星・火星にただ一人取り残された男が生存を賭けて戦う姿である。男の名はマーク・ワトニー、火星有人探査船ミッションの隊員だった彼は、猛烈な砂嵐により中止を余儀なくされたミッションから離脱する際、突風により折れたアンテナが直撃、そのまま砂嵐の中に消えた。残りのクルーは彼が死亡したものと判断、離脱を優先し、地球への帰路に着いてしまう。しかしマークは生きていた。そしてそこから、不可能に限りなく近い生存への戦いが始まるのである。
アンディ・ウィアーの『火星の人』。そのどこまでも不屈の精神の在り様が、圧倒的な感動となって読者の胸に迫ってくる超弩級の名作だ。今年読んだSF小説の中でも白眉と言える作品であり(まあそんなに沢山は読んでないんだが)、SFというジャンルを飛び越えてすら、小説の持つ醍醐味を十二分に兼ね備えた素晴らしい作品であると断言したい。600ページ余りと長い作品ではあるが、遅読のオレですらのめり込むようにして読み切った。そして読んでいる間中、主人公マークの一挙手一投足にハラハラし、その中で遮二無二前向きであろうとする彼の生への渇望に胸を熱くさせられた。生きること、人間の、生物の基本中の基本である最重要課題をテーマのど真ん中に据え、それのみを徹底的に描き切ったこの作品にオレは拍手を惜しまない。
もとより舞台は人間の生存に適さない火星である。人間が生き延びるために必要な、空気も、水も、食料も無く、そしてその環境はあまりにも過酷で、些細なミスが即時に死へと繋がる世界なのである。さらに地球と交信する術すらも失われているのだ。マークに残された希望はたったひとつ、約4年後に到着する次回の火星探査船とランデブーし帰還を果たすこと、その4年間をなんとか生き延びること。ここでマークは、残された物資をあらんかぎりまで駆使し、さらにあらゆる知識を総動員して、何が何でも生き残る方法を探ろうとする。
この知恵比べとも言える描写の数々が凄い。彼の持つ膨大な科学知識を生かし、空気、水、食料、電力を次々と生み出してゆき、さらに生存に適した環境を整えてゆく。科学知識の豊富な方なら「その手があったか」と膝を打つだろうし、オレの如き知識貧困な者にも、それらの描写は分かり易く、決して難解なSF作品という訳ではない。だが。どのように計算しても、それら物資は、4年持ちこたえることができない。さらに、次回の火星ミッションが行われる基地まで、3200キロの旅を敢行しなければならないのだ。
この、次から次へと立ち現れる困難、そしてそれに、次から次へと立ち向かってゆき、解決してゆこうとする主人公の描写がなによりも素晴らしい。作者アンディ・ウィアーは、主人公にありとあらゆる困難を、危機を用意する。いくら用意周到であり、豊富な知識を持っていてさえ予測不可能な絶体絶命の事態が、何度も何度も巻き起こる。しかし主人公は決して諦めない。絶望に足元をすくわれることを決して善しとしない。不撓不屈、この精神こそが、マークを生き延びらせるものであり、そのたゆまぬ前向きさこそに、この物語の神髄がある。
そしてこの作品を豊かにしているのは、主人公マークの、開けっ広げな明るさと軽さ、時として爆笑までさせられるユーモアの数々にある。生き残りを掛けた壮絶な物語である筈なのに、この物語には奇妙な明るさがある。むしろ逆に、絶望的な状況であるからこそ、彼は決してユーモアを忘れないようにしているのだ。なにしろこのマークのキャラクターがあまりにも素晴らしい。オレはもう、読んでいて、こんな主人公に生の声援を送り、そして「お前スゲエよ!頑張ったよ!」と抱きしめたくて堪らなかった。ここまで感情移入できる小説も稀有だろう。そんな部分もこの物語を最高のものにしている要素の一つだ。
そしてもう一つ思ったのは、アメリカ人っていうのは、なんと凄い人たちなのだろう、ということだ。実はオレは、アメリカという国に対して否定的な思いが沢山ある。最近ハリウッド映画をあまり観なくなったのも、アメリカ式の思考法にどうにもうんざりさせられていた、という側面もある。だがそれと同時に、アメリカの持つ挑戦者としての気概、古くから存在する開拓者精神、それに対する楽観主義、これらには心の底から平伏させられるものがある。それらは結果的に過度な覇権主義へと繋がってしまう諸刃の剣でもあるにせよ、素晴らしい側面も持つものであることを納得させられざるを得ない。
なんにしろ、アンディ・ウィアーの『火星の人』が今年ナンバーワンの面白さを持つSF小説であるということは間違いない。「火星を舞台にした『ゼロ・グラヴィティ』」とも呼ばれるこの作品、既に映画化も決まっているらしい。SF小説に興味がある方、それと同時に心の底からドキドキハラハラさせられる小説を読んでみたい方、お勧めですよ!

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)