『アナと雪の女王』のシナリオがちょっとナニだったので勝手に改編を試みてみた

アナと雪の女王 (監督:クリス・バック、ジェニファー・リー 2013年アメリカ映画)

■シナリオに難がある『アナと雪の女王

ようやく『アナと雪の女王』を観た。でもオレ的にはこの映画、全然ダメだった。この映画で最初に「これじゃダメだな」と思ったのは「舞台となっているエルサとアナの王国が国家として成り立っていない」という点と「父母である王・王妃が異様な能力を持つ娘に対してなに一つケアしていない」という点だ。

まず国王亡き後の3年間、この国を執政していたのは誰か、というのが全く描かれていない。そしてエルサ・アナ姉妹の後見人の存在が見えない。これがなぜ重要かというと、仮であろうとも執政者がいるのであれば戴冠式における騒ぎを収められただろうし、そもそもエルサの能力がこういう騒ぎを起こすことを想定してなにがしかの予防策を講じられた筈ではないか。そしてエルサ失踪後にアナが他国の貴族の男に国を任せてしまうが、もうこの辺で有り得ない。戴冠直後に王女が失踪する、というある意味国家の存亡に関わることなのに、その混乱の中にある国家を他国の男に任せる、この段階でこの国には執政者がいなかったことになってしまう。

さらに他国の公爵という男が「女王を捕まえろ!」などとわめいていたが、そもそもこれは内政干渉で、他国の人間であるこの男にはそんな権限など一切無い。無いのはいいとしても、この男の無礼をたしなめ警告するような立場にいる人間が描かれない。エルサ追跡も他国任せで、なにがしかの兵員のような存在、つまりアレンデール王国にいるはずの警察も軍隊の姿も、いるかいないんだか分からない形でしか描かれない。これでは王亡き後国家を運営していたのは誰もおらず、さらに自治権自衛権も存在しない国家だということになってしまう。もはやこれでは国家ですらない。そんなものがどうして3年も存続していたんだ?

次にエルサの父母が魔力を持つ娘に対してなに一つケアしていない、という点。エルサになぜこのような魔力が発現したのかが描かれていない、ということもあるが、そんな能力を持ってしまった娘に対して親のしたことは幽閉と箝口令だけである。この魔力がなぜ娘に現われたのか、この魔力を無くすことが出来るのか、といったことを考えようとせず、ただ閉じ込めただけの親。これ、相当愛情薄くないか?それと同時に、娘が王位継承者であり、国の将来に関わることなのだから、王様ならいったいどうすべきなのか普通考えないか?そしてこんなエルサの能力を知り、それをケアするために働く人間が一人もいなかったのか?結局この魔法を知るのはエルサとアナだけのような描かれ方ではないか。

こんな具合にごく最初のストーリー展開だけでシナリオは穴だらけだ。他にも「どこぞの王子が裏切ったから速攻クリストフに鞍替えするアナ」なんて描写は酷過ぎる。高い才能と経験を持つはずの(そして高給も取ってるはずの)ディズニーのシナリオライターがこの程度の瑕疵にすら気づかないとは思えない。監督の指導力が低かったか現場が相当混乱していたか、納期が迫って変更が利かなかったか、もしくは「どうせ子供向けでしょ?」とナメきっていたか。どちらにしろ酷いシナリオだ。

しかしこれらの瑕疵を正す簡単な方法がある。それはエルサとアナの後見人に【邪悪な宰相】を登場させればいいのだ。これだけで『アナと雪の女王』の説明の足りない部分は全て説明できてしまう。それでは【邪悪な宰相】が登場する、オレの思いついた《 改訂版『アナと雪の女王』 》をここで書き殴ってみよう。

■改訂版『アナと雪の女王

【邪悪な宰相】の名を例えばナムリスとしよう。ナムリスは王の側近であり、王の死後もエルサが王位継承するまで代理執政者として国の様々な業務を執り行い、あるいは指導していた。そしてエルサの魔法能力を周囲から隠すのもナムリスの仕事だった。ナムリスは王にエルサの能力を消し去る方法を探す、と約束し、全権を委任されていた。だがそれは嘘だった。実はナムリスはエルサの能力を利用し、アレンデール王国を乗っ取ろうと考えていたのだ。

そしてエルサの戴冠式の日、ナムリスは大勢の人々の前でエルサが魔法を使うように仕向け、そこでエルサを【悪魔の申し子】呼ばわりして国から追放する。かくして王国を手に入れたナムリス。アナはその企みを見ぬき、クリストフと協力してナムリスの陰謀を暴こうとするが、彼らはまだまだ非力すぎ、こっぴどくやられて城から逃走する。しかし彼らは知った。エルサに魔法の力をもたらしたのは実はナムリスであり、そしてナムリスもまた邪法を使う男であることを。さらになんと、王とその妃の命を奪ったのもまた、ナムリスの仕業だったのである。

ナムリスを倒すためにアナは山奥の氷の城に籠った姉エルサを頼らねばならない。しかし心傷付き絶望の虜となったエルサは誰一人近づけようとしなかった。そしてエルサによってもたらされた凍てつくような氷河は、国ばかりか世界全体を覆いつつあった…。世界に迫る危機。果たしてアナとクリストフはエルサを説得し、世界を救うことができるのか?

中盤からクライマックスまでの展開は映画と一緒にして、クライマックスは邪悪なナムリス対エルサ、アナ、クリストフ、トロール、雪だるまの壮絶なる戦いとなるんだ。ちょっと可愛そうだが「次々と命を落としてゆくトロール軍団」なんて描写を入れ、悲壮感を盛り上げてもいい。そして見事ナムリスを倒し、ラストはもちろん姉妹愛で締めくくられる。さらにこの改訂版では、戦いが終わった後エルサからは魔法の力が失われ、普通の女性へ戻ることができるようにしよう。エンディングのタイトルバックでは、エルサがアレンデール王国で足止めを食っていたとある王国の王子と知り合い、ちょっぴりロマンスの兆しが…といった描写を入れてお終い、というのもいいな。

どうっすかね?…え、オリジナルのほうが全然まし?あうー。

■Let It…

この作品は製作中に劇中歌「Let It Go」を聴きその素晴らしさに感嘆したアニメーション・スタッフたちが、最初悪役だったエルサをもう一人のヒロインに据えた、という経緯を知っている方も多いと思うが、逆にこの変更が当初あったストーリーを継ぎ接ぎだらけにし、あちこちをギクシャクしたものにしてしまったと言えるかもしれない。悪役不在の物語では締りがないと用意された新たな悪役が諸外国の王子だったり公爵だったのだろう。だが結局彼らとて小悪党どまりで、超絶的な魔法を使うエルサの敵ではない。しかもそんな魔法の力をコントロールするやっとみつけた方法というのが「真実の愛」というのも、どうにもとってつけた感が否めない。
配役の変更によるストーリー変更のみならず、「Let It Go」の歌詞に合わせたテーマに物語展開の変更もあっただろう。そもそも「Let It Go」の歌詞内容とその歌われるシチュエーションとには妙な違和感があるが、想定外に素晴らしい歌だった為に使わないわけにはいかなかったのだろう。こうして当初予定され構成された世界観を「Let It Go」の歌一つでもう一度再構成を余儀なくされたこの物語は、この曲のキャッチ―な親しみ易さが牽引する型で大ヒットとなったが、逆にこの歌のせいでちぐはぐな物語となった、とも言えるかもしれない。しかし基本的には低年齢層・家族連れをマーケットに作られたアニメであり、いい年したオッサンのオレがどうこう言う種類の映画ではない、ということなのだろう。