で、なんでこんなに暗くて重苦しいの?〜映画『複製された男』

■複製された男 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2013年カナダ・スペイン映画)


自分とそっくりの男を見つけちゃってサア大変!というサスペンス・ミステリー映画です。監督は『プリズナーズ』(観てません)のドゥニ・ヴィルヌーヴ、原作はノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴの同名文学作品(読んでません)。
物語は大学の歴史講師アダム(ジェイク・ギレンホール)がDVD観てたら自分そっくりの俳優を発見、その俳優アンソニージェイク・ギレンホール)の居場所を突き止め会ってみると、顔も声も同じどころか傷跡さえも同じところにあることを知ってしまいます。やがて二人はお互いの恋人、身重の妻を巻き込んでとんでもない運命に巻き込まれちゃう、というもの。まあ要するにドッペルゲンガーのお話なんですが、今更ドッペルゲンガーごときをテーマに作品1本?と思っちゃうけど、この物語、結構謎だらけな上に時折思わせぶりな恐怖ショットが入り、そして唐突かつ投げっぱなしなラストを迎えるもんですから、「こりゃいったいどういう意味なの!?」と観た方が結構頭を悩ませちゃう映画として仕上がってるんですね。
自分も「なんじゃこのラスト?」と思い、一緒に見に行った相方さんとあれこれ頭をひねって「要するにこういうことだったんじゃない?」という結論に一応達したんですが、その辺は殆ど相方さんが思いついたことなんで、ここではその解釈とか結論めいたものは書きません。ただ、登場人物が少ない上に、観ている者に与えられている情報も限られているので、その辺絞って考えれば意外と分かり易いかも。その辺箇条書きするなら、

・アダムとアンソニーはそっくりだが、性格と立場に違いがある。アダムは内向的で、地味な仕事、同じ毎日に倦怠感を覚えている。一方アンソニーは外交的で三流とはいえ映画俳優という派手な仕事、自分の毎日に対して特に文句を言ってない。
・アダムの恋人はアダムとの生活にやはり倦怠感を抱いている。一方アンソニーの嫁は妊娠しており、アンソニーの浮気性に苛立っている。さらに、「アダムとアンソニーがそっくり」と知っているのはこの嫁のほうだけ。
・「セックス」がまずキーワードになっている。最初にセクシャルな秘密クラブが登場する。アンソニーの浮気性もつまりはセックス好きということ。そしてアダムに「お前の恋人とやらせろ」と詰め寄ったりもする。
・蜘蛛がもうひとつのキーワードになっている。秘密クラブにはなぜか大きな蜘蛛が登場する。その後アダムは何度か蜘蛛の登場する悪夢を見る。
・登場人物が少ないこの物語にアダムの母が登場する。

という具合に、「見た目はそっくりだが性格がコインの裏表みたいな二人の男」「その二人の付き合う女の存在」「セックス好き」「蜘蛛」「母と子」あたりで考えてみるといいかもしれない。特に「蜘蛛」がなんのメタファーなのか?を思いつくのが重要かも。
とまあ、謎解きがキモみたいな部分があり、相方さんとああでもないこうでもないと喋るのは面白かった。でもさあ、それよりも思ったのは、この映画、なーんでこんなに重々しく勿体ぶった作りしてんの?って部分が気になった。「自分とそっくりの男」と会っちゃうことがどうしてここまでおどろおどろしいの?この辺、「お、スゲエ、自分とおんなじ顔じゃん!」とか言いながらコメディにしちゃってもいい話だよね。で、「洋服取り替えて別の生活してみようぜ!」というのはアリだとしても、まず思いつくことが「お前の女とやらせろ」って、え、そこなの?身も蓋もないっちゅうか、なにいい年こいてギンギンなっちゃってんの?と思う訳ですよ。要するに「性格くれーな、こいつら」としみじみと思っちゃうんですよね!
こういうどこか形而上的かなんかしらんがとりあえずややこしい話って、デヴィッド・クローネンバーグデヴィッド・リンチが得意とするところで、映画の雰囲気も似てるところが無いわけでもないんですが、クローネンバーグやリンチとこの作品が決定的に違うのは、この二人が「いや、オレら変態っすから、グヘヘ」と涎垂らして馬鹿な映像紛れ込ますところを、この『複製された男』はなーんかマジぶっこいちゃってるんですよね。気負いが大きいんですよ。そんなもんですから、観てて「だからナニ?」って思えちゃうんですよね。その辺がさあ、まだ青いんだよなあ。そんな訳で監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは次回作では全身ラバーに身を包みハイヒール履いてムチ振り回しながら監督してみるといい具合に力の抜けた変態映画撮れるんじゃないかと思いますね。
http://www.youtube.com/watch?v=gZhPn7P74lI:movie:W620

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

複製された男 (ポルトガル文学叢書)