インドの大地を旅しながら描かれる傷ついた魂の遍歴〜映画『Highway』

■Highway (監督:イムティヤーズ・アリー 2014年インド映画)


誘拐犯と誘拐された少女とがインド全土を旅しながら、お互いの間に芽生えた奇妙な感情に気付き始める、というリリカルなロードムービーです。

デリーに住む実業家の娘、ヴィーラ(アーリヤー・バット)は恋人と出掛けた途中のガソリンスタンドで強盗に遭遇し、誘拐されてしまう。強盗の一人、マハビール(ランディープ・フーダー)は身代金を要求すると同時に、捜査攪乱の為、ヴィーラを連れてトラックでインド各地を転々とする。一方、誘拐されたヴィーラは、マハビールらの隙を突いて逃げ出したりもしながら、自分が不思議な解放感に包まれていることを知る。ヴィーラはその時、いかに自分が息苦しい家庭の中でうつむきながら生きてきたかに気付いたのだ。そしてヴィーラは、マハビールと共に行動することを心に決め、そして二人はインド全土を巡るあてもない旅に出る。

誘拐犯は髭モジャのいい年したおっさん、一方誘拐された少女はまだ10代のようにも見えます。当然命の危険は感じるでしょうし、レイプだってあるかもしれません。誘拐犯に心を許す、だなんて考えられないことかもしれません。しかしこの物語は犯罪ドラマというよりも、誘拐をきっかけとして、登場人物たちの内面と心象を掘り下げようとしたドラマなのだろうと思います。少女は誘拐されて初めて、今まで自分が牢獄のような家で暮らしていたことを知ります。また誘拐犯の男は、少女の優しさに触れることで、自分がこれまでいかに過酷な人生に耐えてきたのかを思い出すのです。この物語で誘拐犯の男は決して凶悪な人でなしとしては描かれていません。むしろ犯罪者として生きて来なければならなかった悲しい存在として描かれるんです。

二人の間はお互いの胸の中に開いた大きな空洞を知ることにより、犯罪者と被害者の関係から、ひとつの共犯関係へと変わってゆきます。それは何に対する共犯なのか。それは、それまでの自分の人生を否定したい、拒否したい、という思いです。そしてそこから逃げ出したい、という気持ちです。だからこそ、誘拐犯は自分が誘拐犯であることを忘れ、少女は自分が誘拐されたことを忘れ、ただただ自分をそれまで縛ってきた「現実」という名のしがらみから逃げ出すために、広大なインドの大地をどこまでも旅することになるのです。現実否定と現実逃避の先にある、もしかしたらあるのかもしれない、「もっとまともな筈の現実」、それを求めて、彼らは旅を続けようとします。

二人の旅するインドの大地は刻々と姿を変えてゆきます。近代的な大都市、民家のまばらな田舎道、草一つ生えない荒野、人気のない廃墟、緑豊かな草原、険しい山岳地帯、そして雪に覆われた山中。それら全てを覆う青い空、または漆黒の夜空、そして太陽と月と星。これら美しいインドの光景が、次々と画面の中を通り過ぎてゆくんです。これらの情景は、二人の傷ついた心を露わにし、そしてその痛みを洗い流してゆきます。旅それ自体が、彼らの生まれ変わる通過儀礼だったのです。そして旅路の果てに、二人には愛情とも、恋とも名付けえない気持ちが芽生え始めますが、しかし二人が忘れ去った筈の「辛い現実」も、実はしっかりと二人を付け回していたのです。

インドの広大な土地を眺めることのできる素敵な物語でした。これまで観たボリウッド娯楽作とは違う、瑞々しいしっかりしたストーリーの作品としても楽しめましたね。主演の少女アーリヤー・バットは、役柄が役柄だけに全編ほぼノーメイク(多分映画用のメイクはしているのでしょうが)、化粧ギンギンのインド映画に見慣れていると、逆に妙に生っぽい存在感と幼さを醸し出し、非常に好演でした。この映画観たあと、別の映画に出ていた時のきっちりメイクした彼女を観たらこれがもう別人で…アーリヤー・バットさんには今後もスッピン系ボリウッド女優として活躍してもらいたいような気がしました。