アフガニスタン紛争の最中に活躍した「国境なき医師団」とそのカメラマンのルポルタージュ〜『フォトグラフ』

■フォトグラフ / エマニュエル・ギベール(著)、ディディエ・ルフェーブル(原案・写真)

フォトグラフ (ShoPro books)

アフガニスタン紛争と国境なき医師団

日の照り付ける大地を、凍える荒野を、流れの急な川を、険しい山々を、道なき道を歩み、常に命の危険にさらされながら、それでも彼らは医療の為に、怪我と疾病と困窮にあえぐ人々を救うために、今日も活躍し続ける。
国境なき医師団(MSF)」、彼らは貧困地域や第三世界、紛争地域を中心に、年間約4,700人の医療スタッフが世界各地70か国以上で活動しているNPOだ。この『フォトグラフ』は1986年、紛争の最中にあるアフガニスタンをMSFと共に旅をしたフランス人写真家、ディディエ・ルフェーブルがルポルタージュしたコミック作品である。グラフィックはディディエの友人であり、『アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録』(レヴュー)の作者でもあるエマニュエル・ギベールが担当。作中にはディディエが現地で撮影した沢山の貴重な写真も使用されている。
作品は3つの章で構成される。Chapter1はディディエがフランスからパキスタンの街ベシャワールに到着し、そこでMSFと合流して現地人とキャラバン("100頭あまりのロバ、20頭ばかりの馬、そして武器を持った男が100人ほど")を結成、アフガニスタンを目指すまで。Chapter2ではアフガニスタンの小さな村に到着したディディエとMSFチームがそこで医院を設立し、様々な医療活動を行う様子が描かれる。Chapter3では単独で帰路に着こうとしたディディエがその道中で出遭う恐るべき困難と不安が描かれてゆく。

アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)】
アフガニスタンはこれまで多くの戦争・紛争に巻き込まれているが、このルポが描く1986年は「アフガニスタンで断続的に発生している紛争のうち、1978年に成立したアフガニスタン人民民主党政権に対するムジャーヒディーンの蜂起から、1979年にソビエト連邦が軍事介入を行い、1989年に撤退するまでの期間」の中での出来事となる。ソ連アフガニスタン侵攻は撤退まで約10年に及び、その間、ソ連軍犠牲者は1万4000人以上、それに対しアフガニスタン人犠牲者は「戦闘員(ムジャーヒディーンや政府関係者)はおよそ9万人が死亡し、9万人が負傷した。ソ連と比較した場合、10倍以上の損害を負ったことになる。市民の死傷者を含めると、総人口の10%、男性人口の13.5%が死亡し、全体では150万人が死亡したと推定されている。これにより戦後は一時的に国民の半分が14歳以下(つまり大部分の大人が死亡した)になるほど」であり「およそ600万人の難民が発生し、周辺諸国に逃れた」という*1

■困難な道のり

その紛争による怪我人、そして医薬品・医療機関途絶により満足な治療を受けられなくなった一般市民を救う為、MSFが現地入りすることとなる。しかしアフガニスタンは草木の生えぬ荒野と険しい山岳地帯の続く土地であり、その道中にも常に戦闘に巻き込まれる危険が伴う。しかも公道はソ連軍の支配する地帯であることから、それを迂回しながら徒歩のみのパキスタンアフガニスタン行路は、5000メートル級の峠を15も超えながらの、数週間にわたる過酷な道のりとなるのだ。
Chapter1ではこの長く厳しい旅の様子が描かれる。それは疲弊と労苦がたゆまなく続くただただ消耗する旅路であるが、ディディエとMSFクルーたちは忍耐と仲間同士の強い絆でそれを乗り越えてゆく。それにしても、MSFが危険と隣合わせの活動をしていることは何となく知ってはいても、現地に入るだけでもこれほどの労苦が彼らを待っている、ということにはひどく驚嘆させられた。しかしそんな中でも、語り部であるカメラマンがなんとなくへたり腰なのがなぜか和ませてくれる。
アフガニスタンの小さな村を借りた医療拠点に到着してからのChapter2もまだまだ安心ではない。非常に限られた物資と劣悪な環境の中で限定的な医療しか彼らは行えない。ここは科学機器の揃ったホスピタルではないのだ。しかし彼らはむしろ、衛生環境の整っていない場所だからこそ、医療の基本である「観察・臨床・症状の検証」をより注意深く行うことができるのだ、と語る。高性能の機器が無くとも、無いなりにやる。それにより、自らの医療スキルを上げる事ができる。こういったどこまでも前向きな取り組み方に、また驚かされるのだ。

■恐怖の帰路

そして彼らが遭遇するのは数々の疾病患者だけではない。彼らの生まれた欧米諸国とはまるで違うアフガニスタンの文化、宗教、習俗、これらがまた厚い壁となって彼らを阻む。アフガニスタンの男たちは"男らしさ"と"誇り"といったプライドに准じて生きる者たちであり、それを尊重せねば致命的なトラブルが起こることもある。欧米諸国に生まれた者が当たり前のように思っている見方や考え方、そして宗教観が、アフガニスタン人にとって侮蔑や嘲笑の対象であることも相当にある。そして戦時下であるという緊張と荒んだ空気がアフガニスタンの男たちを危険にさせている。そんな男たちと対等にやり合う、ということもMSFの職務のひとつなのだ。そしてこういったネゴシエーションを行い医療団団長も務めるMSF職員がまだうら若き女性だったりするのだ。
Chapter3ではMSFの医療拠点から単独で帰路に着こうとしたディディエの道中が描かれる。ここからはMSFルポルタージュを離れ、ディディエの出遭う恐るべき困難と不安、そして死の一歩手前まで迫った危機が中心となる。それにしてもMSFと行動を共にしていればこんな目に遭わなかったのに、ディディエという男の人柄がなんとなくうかがわれる。しかしこの章では団体移動では分からなかったアフガニスタンの危険さが迫真の様子で描写され、死の予感に絶望するディディエが、その時に撮ったという写真の、そのあまりの重さ、美しさにはどこまでも慄然とさせられた。

アフガニスタン、美しき国よ、アフガニスタン

この旅を通してディディエは、アフガニスタンに住む人々がこうむる現状の、そのあまりの痛ましさにくずおれ悲嘆と無力さに打ちひしがれる。しかし彼は思い出す、悲嘆している場合ではないと、彼が随従した医者たちが人々を救うためにこの地にいるように、彼は写真を撮り、写真を撮り続けることでこの惨禍を世に知らしめる役割を負ってこの地にいるのだと。それがカメラマンである自分の仕事であるのだと。そしてその旅の工程において様々な困難があったにもかかわらず、ディディエは「(アフガニスタンに)また行きたい」と呟くのだ。実際、ディディエはこのルポルタージュでの旅の後も8回アフガニスタンに旅立ったのだという。なぜならディディエは打ちのめされたからだ、このアフガニスタンという国の真の美しさに、そしてこの厳しい国で生きる人々の笑顔に。
この『フォトグラフ』は価格も高く大判で扱いにくい本ではあるのだが、ここで知ることのできるMSFの生々しいルポルタージュと、ここで見ることのできるアフガニスタンという国、その地の人々の現状、そしてここで出会うことのできる驚きの数々は、かけがえの無い読書体験となることであろうことは間違いない。まだ早いが、個人的には今の所今年NO.1の面白さだった。また、この本の売り上げの一部は国境なき医師団の寄付に回されるという。興味の湧いた方は是非手に取ってもらいたい。

フォトグラフ (ShoPro books)

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アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 (BDコレクション)

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