平凡な男の生と死を平凡に描いちゃった平凡な作品〜『デイトリッパー』

デイトリッパー / ファビオ・ムーン(作)、ガブリエル・バー(絵)

デイトリッパー (ShoPro Books)

全世界で称賛の嵐を巻き起こしたグラフィック・ノベルの大傑作が登場! アイズナー賞でベスト・リミテッド・シリーズ賞を受賞、ニューヨーク・タイムズのグラフィック・ノベルチャートで1位を獲得した名作を初邦訳!! ブラス・オリヴァ・ドミンゴスは新聞の死亡記事執筆を生業としていた。市井の人々がどのように生まれ育ち、どのような思いを抱いて暮らし、そして死んでいったのかを書き記す日々……。だが、ブラスが死について書いていない時でも、人は毎日死んでゆくのだ。死は誰にとっても、ブラスにとっても平等に、突然に訪れる。高名な小説家である父への思慕と劣等の入り混じった想いを抱えて入ったバーで、学生時代の最後に親友と訪れた海辺で、真実の愛に気付いた街角で、ブラスは様々な死を迎える。人生のあらゆる局面を舞台に描かれる主人公の生と死を通して、人生で最も大切な“何か"をあぶり出す感動の名作がここに!

主人公は新聞の死亡記事担当の男。彼は様々な人々の様々な死を、その人となりを、半生に絡めながら書き綴る。彼らの人生の締め括りにふさわしいように。そしてこの物語は、「死」という締め括りでもって「生」そのものの総体を描こう、と試みられた作品だということが出来る。
本作は10章で構成されているが、読み始めてすぐ驚かされることがある。なんと、章毎に、そのラストで主人公が死ぬのである。それも様々な年齢で。しかし別の章が始まると、そんな死が無かったかのように、人生の続きを生きる主人公が描かれているのだ。
最初は「何度も生き死にを繰り返す運命に遭う男を描く、SFとかファンタジーとかホラーの作品なのか?」と思ったのだがそうでもないらしい。この作品、一人の男の、その人生の様々な年齢、様々な局面を、「死」という形でそれぞれ区切り、その輪郭を際立たせることで、「彼の人生はどういうものだったのか?」描こうとした作品のようなのだ。そして主人公が死ぬラストを迎える度に、彼が生業としていた死亡記事そのままに、「彼はこんな人生を生きていた」といったようなキャプションが入るという構成になっている。
ユニークな構成であるとは思う。しかしオレはこの作品がまるで楽しめなかった。そもそも、主人公の生き方にも人間性にもまるで魅力を感じなかった。いつどこでどう死のうと平凡な男。多分作者は平凡な男であるからこそその死に際して普遍的な生の意味を見出すことができるのだ、と考えたのだろうとは思う。だがこの主人公は、自らの生に対してどうにも成り行き任せすぎはしないか。
なんとなくライターやってなんとなく成功して、なんとなく友達と旅をしてなんとなく恋をして、なんとなく結婚してなんとなく子供を作って。この主人公自身が、自分の人生に対して、強力に希求する「何か」が、この作品には徹底的に欠けているのである。ただ平凡に生き平凡に死ぬだけなのである。現実的に、人は平凡であってもいい。しかし物語でこれをやられるのは、ひたすら退屈なだけだ。
そしてもう一つ思うのは、「死」によって人を評価してどうすんじゃい、ということだ。結局、死んだ人はみんないい人、になっちゃうんだよ。たいがいは惜しまれて、悲しまれて、いろんなことを遣り残して死ぬんだよ。しかしだからなんだってんだ。人は死に方ではなく生き方で評価されるもんだろ。今何を目指しどんな風に生きてるか、現在進行形のその生き方にこそ価値があるんだろ。その生き方を未来にどう繋げていくか、考えることに意味があるんだろ。「生前はいい人でした」ってなんだよオイ。
主人公はいつどこでも憂鬱そうな顔をしてなにがしか能書きを垂れる。それが人生の秘められた訓示のように。しかし自ら何も動こうとしない男の能書きなど、単なる気取り屋の戯言にしか聞こえない。何か言っているようで何も言っていないとはこのことだ。こんな塩梅なので物語が総括されるクライマックスまで、勿体付けただけの噴飯ものな締め括りだった。それにしても何回も死ぬこの物語、死に方のバリエーションもあまり思いつかなかったのか、唐突で強引で、この辺も白けた原因だったな。『ファイナル・ディスティネーション』シリーズを観て研究されたらどうかとずっと思っていた。

デイトリッパー (ShoPro Books)

デイトリッパー (ShoPro Books)