再生と克服の物語〜映画『ゼロ・グラビティ』【※ネタバレあり】

ゼロ・グラビティ (監督:アルフォンソ・キュリアン 2013年アメリカ映画)


映画『ゼロ・グラビティ』は、軌道上に停泊するスペースシャトルで船外活動中の宇宙船クルーが、飛来するスペース・デブリにより突然の事故に遭遇し、暗黒の宇宙に投げ出されながらも必死に生存の糸口を探り続ける、というドラマだ。映画では無重力状態の宇宙で次々と危機が訪れ、一時たりとも目を離せない緊迫した状況が映画終盤まで覆い尽くす。果たして主人公ら宇宙船クルーは生きてこの宇宙から地球へ帰る事ができるのか?というのがこの映画なのだ。
このように、映画『ゼロ・グラビティ』は死の世界である宇宙空間で事故に遭遇し、絶対の危機を迎える人間たちのサバイバルの物語であり、その生か死かのスリリングな演出を楽しむスペクタクルなエンターテイメント作品であり、最新VFXの粋で作られた驚異の映像を楽しむ映画であるが、しかしこの作品はただそれだけのものなのだろうか。いや、ただそれだけでも十二分にエキサイティングな作品ではあるけれども、そういった表層上のヴィジュアルのみにとどまらず、この作品には隠されたもう一つのテーマがあるように思えた。それは、かつて幼い我が子を亡くした主人公ストーンの、再生と克服の物語である、という部分である。
【以下本編とラストの内容に関わる記述がありますので未見の方はご注意ください】


この映画に出演したサンドラ・ブロックは、その準備期間に女性的であったり母性的であったりしない、機械のような体つきを目指してトレーニングしたという。それはなぜか。それは、サンドラ・ブロック演じるライアン・ストーンを、女性的であること、母性的であることを拒否し、そこから遠ざかろうとした存在として描こうとする演出者の意図だったのではないか。それは、自らの女性性と母性を否定することにより、我が子を亡くしたトラウマから遠ざかろうとしたライアン博士の心象を表現しようとしたことではないだろうか。まずストーンは、我が子の死、というトラウマに囚われた状態でこの映画に登場するのだ。
物語の舞台は地球上空60万メートルの宇宙空間。闇と光の織りなす美しさと静謐さに溢れるこの場所は、同時に生物の生きられない死の世界だ。そしてこの死の世界である宇宙空間を涅槃=死者の世界と捉えることはできないか。我が子を亡くしたトラウマに苛まれるストーンは、宇宙飛行任務としてこの宇宙=涅槃へと訪れる。そして涅槃とは、死んだ我が子の魂が送られた場所である。つまりストーンは、宇宙に出ることで限りなく死した子の場所へと肉薄することになり、さらに生命の危険に遭遇することで、自らも限りなく死へと近づいてゆく。そう、はからずも母と子は「死」というキーワードにより、宇宙空間で会遇するのだ。
そして中盤、からくも逃れた宇宙船の中で、ストーンは宇宙服を脱ぎ捨て、無重力空間の中で胎児のように体を丸めて漂う。このシークエンスは胎児へと還る=もう一度自らの生を生き直す、という明らかなメタファーだろう。ではなぜストーンは生き直さねばならないのか。それは、我が子の死、という拭い切れない悲劇と悲嘆に苛まれる自らの人生を克服し、もう一度生き直す、ということなのではないか。そしてこの中盤のシーンから、物語は「宇宙空間でのパニック・スペクタクル」から「再生と克服の物語」として新たに語り始められることになるのだ。
物語はその後、生き残る望みの全くない、絶対的な絶望状況に至る。その中で遂にストーンは生存を諦め、自ら死を選ぶことを決意する。だがそのストーンを救うのは、既に死亡したと思われるコワルスキー宇宙飛行士の幻影だ。この幻影の与えたヒントにより、ストーンは危機を乗り越える方法をひらめかせる。現実的に言うなら低酸素状態からの幻覚と、その錯綜したシナプスが奇跡的にたぐりよせた生存の糸口、ということになるだろうが、このシーンを死者からのメッセージと捉えることもできる。
死者であるコワルスキーはストーンに生きろ、と言う。それは同時に、死者の国にいる娘からの伝言であり、コワルスキーはそのメッセンジャーであったといえないだろうか。それは、生きる望みを得たストーンが、コワルスキーに「そちらにいる娘によろしく」と告げるシーンからも明らかではないか。そしてこのシーンこそが、我が子の死を真に受入れ、涅槃にあるその魂の平安を祈りながら、自らはその悲嘆と決別し、生あるものの世界で生き抜こうとする、その決意の場面だったのではないか。まさにこの時、ストーンは我が子の死という悲劇を克服したのである。
死者の世界である涅槃=宇宙空間から生あるものの世界=地球へとストーンの帰還が始まる。大気圏に突入するストーンは「結果はどうあれ、これは最高の旅よ」と呟く。これは地球=生あるものの世界で生きることを選択したストーンが、様々な苦難が存在しながらも、人生とは美しく、そして素晴らしいものだと改めて気付き、その生を肯定的に受け止めることを、高らかに宣言した瞬間なのだろう。
そして宇宙ポッドで着水した湖の中で水に飲み込まれるストーン、そこから脱出するストーンのシーン。これも明らかに胎内にある羊水とそこからの誕生のイメージ。岸辺に這い上がりゆっくりと立ち上がるストーンは、今もう一度幼生として誕生し、人として再生し、その人生を新たに歩もうとする暗喩に他ならない。こうして遥かな宇宙を旅しながら、同時にストーンは自らの内的宇宙を旅し、事故の危機を乗り越えながら、同時に自らの心的危機を乗り越えていった。ここで画面に現れるタイトル「GRAVITY」とはこの地球の重力のことであり、そして重力は、自らをこの世界にしっかりと繋ぎとめる力であり、それは生それ自身をこの世界に繋ぎとめる強い思い、ということでもあったのだ。

ゼロ・グラビティ 国内盤

ゼロ・グラビティ 国内盤

Gravity

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