君だけが、いない。〜映画『華麗なるギャツビー』

華麗なるギャツビー (監督:バズ・ラーマン 2013年アメリカ映画)

I.

エブリシング・バット・ザ・ガールというイギリスのバンドがある。バンドの名前は直訳すると「少女以外の全て」ということになるが、これは「女だけは手に入らなかった」という意味なのらしい。映画『華麗なるギャツビー』はこんな、全てを手に入れながら、しかし女の愛だけは手に入れることが出来なかった一人の男の、悲劇の物語である。
1920年代アメリカ。物語の語り手ニックは、ニューヨークの郊外に家を借りるが、その近隣の大邸宅では夜毎、ニューヨーク中の客が集まる豪華極まりないパーティーが催されていた。いぶかしげに思っていたニックに、ある日、大邸宅の主から招待状が届く。主の名はギャツビー。しかし訪れたパーティーに集まる客たちは皆、ギャツビーの姿を見た事もなく、彼がなぜ大富豪なのかも知らない。そしてやっとギャツビー本人に出会えたニックだったが、「人が生涯に1、2度しか出会えないであろう極上の笑顔」を浮かべるギャツビーは、それと裏腹の、寂しげな顔も見せる男だった。後日、ニックはギャツビーの寂しげな表情の理由を知る。ギャツビーは、5年前愛を交わしながら、従軍により別れ別れとなり、今は人の妻となってしまった女、デイジーの愛を再び取り戻そうとしていたのだ。しかしギャツビーのこの想いが、悲劇への扉を開いてしまうのだ。
どこまでもグラマラスで狂騒に満ちた音楽と映像。20年代アメリカの、爛熟を極めた文化とファッションと、贅を尽くした生活を、徹底的に再現した美術。さらにそれらを懐古趣味ではなく、現代的にアレンジして眼前に表出させるセンス。喧騒の果ての虚無と、虚飾の中の虚構と、避けられない運命に翻弄される者たちの物語。映画『華麗なるギャツビー』は、監督バズ・ラーマンの才能が物語世界の細部まで息づく渾身の傑作だ。そしてこの物語は20世紀アメリカ文学の最高峰のひとつとして知られるF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を原作として製作されており、目を奪うようなけたたましい映像を描くのと同時に、登場人物たちの心の襞とその移り行く感情を、繊細で、そして時には胸の張り裂けそうな圧倒的なエモーショナルで表現しているのだ。

II.

絶大な自信に満ち溢れ、自らの恋心に忠実で、そして可愛らしいぐらい初心なギャツビーは、その反面、その過剰な自信により、相手の気持ちを考えない強引さを併せ持っている。この物語の悲劇は、この彼の、過剰な自信による性急さによって引き起こされたのだろう。同様に、この物語の登場人物たちはどれも、最初に感じさせる印象とは異なった二面性を後に見せてゆく。ギャツビーの恋するデイジーは、可憐で無邪気な、人を惹き付けて止まない女性だが、ギャツビーへの愛に応えながらも、有力者の夫につき従う自分を捨てられないでいる。デイジーの夫でありギャツビーの恋敵であるトム・ブキャナンは、上流階級であることに胡坐をかく、傲慢で鼻持ちならない男だが、その彼とて、彼なりのモラルに則って生きている。ギャツビーのただ一人の友であり、物語の語り手でもあるニック・キャラウェイは、語り手であることからニュートラルな視点で物事を眺めてゆくが、その繊細さから世界に馴染めず、どこか優柔不断に思える部分すらある。これら登場人物の在り様の"揺らぎ"が、物語に陰影と深みをもたらすが、それは同時に、それぞれを演じる俳優たちが、非常に卓越した演技力で持ってこれらの登場人物を演じきったからこそだといえる。
この物語は、主人公ギャツビーの、実らなかった恋とその行方を描いている。大富豪となったギャツビーは、いうなれば世界の全てを手に入れた男だ。あたかも彼は世界の「王」の如く君臨していた。しかし、その世界には、愛する君が含まれていないのだ。彼にとって、世界は、「君と共に生きる」ことで、初めて成り立つものであった筈なのに、君はいないのだ。君のいない、君以外は全てがある世界、結局それは「全て」ではない以上、「無」と変わりない。君がいない世界は、それは、世界ですらない。それは「虚無」だ。なぜなら、彼にとって、「君」こそが世界と等価であり、「君」こそが、真に世界そのものであったからだ。そして彼は、虚無の中で、愛する君という輝きに満ちた光明を請い求める。虚しい世界を、君に振り向いてもらうために飾り立てる。虚しい飾り、まさに虚飾だ。あらん限りの世界の富で飾りたてられながら、飾り立てれば飾り立てるほど、それが巨大な虚無にしか見えないのは、その全てが、彼の「孤独」の裏返しでしかないからだ。ああ、この物語は、なんと寂しく悲しい世界を描いたものだったのだろう。

III.

ギャツビーはデイジーの心を取り戻し、春の陽だまりのような明るく暖かかな日々を過ごす。それはギャツビーにとって、最後の一ピースがはまった完璧な世界の完成だった。世界は完璧だ。全ての望みは成就されたのだ。ギャツビーは全き幸福を謳歌し、それはいつまでも永遠に続くもののようにさえ見えた。だがしかし、それは束の間のことだったのだ。抗うことのできない残酷な運命が、二人にひたひたと、しかし確実に忍び寄っていた。
それにしても、ギャツビーの"偉大さ"とはなんだったか。それは野心に満ち溢れ、確固たる目標を持ち、その目的の為に惜しげもなく自らを捧げ、決して停滞せず、常に前向きに物事を遣り遂げてゆき、そして確実に夢を掴んでゆく、そのたゆまない意思と不屈の精神の謂いなのだろう。それは一言で言うなら、【希望】ということなのだろう。あの恐ろしい事故の後でさえ、ギャツビーは決してうなだれる事無く、希望を捨てず、きっと全てを上手く遣り遂げる、きっと上手くいく、といった表情を浮かべてはいなかったか。そしてギャツビーのこの"偉大さ"は、そのままアメリカの"偉大さ"を表していたのだろう。物語の舞台である1920年代、アメリカは第一次世界大戦の特需により、空前の好景気に沸いていた。大量生産・大量消費の生活様式が定着し、数々の文化が花開き、アメリカは世界一豊かな国と化した。それはたゆまない意思と不屈の精神、すなわちアメリカン・スピリッツに裏打ちされた、"偉大なる"アメリカの【黄金の20年代】だった。物語冒頭のあの狂騒こそが、アメリカの姿だった。だが、その成熟は爛熟となり、華燭は虚飾と化し、過飽和となった経済は、1929年の世界大恐慌を待つことになる。偉大なるギャツビーの悲劇、それは偉大なるアメリカの挽歌であり、鎮魂歌であったのに違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=ejl5-Win7VM:MOVIE

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