記憶は錯誤する。〜映画『トランス』

■トランス (監督:ダニー・ボイル 2013年イギリス映画)


"コンゲーム"というのは「信用詐欺」の意味だが、物語のジャンルで使われるときは「詐欺や騙し合いをテーマにした犯罪サスペンス」ということになる。映画だと『スティング』や『「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』あたりが有名どころだろう。ダニー・ボイル監督の最新作『トランス』は詐欺や騙し合いが直接的に描かれる作品ではないが、【主人公の記憶】に主人公を含む登場人物たちが騙されてゆく、といった意味ではある種のコンゲーム映画といえるのかもしれない。
物語は40億ともいわれる絵画がオークション会場から強奪されるところから始まる。しかしこの物語は単純な強盗モノのサスペンスと思わせておいて、次第に【記憶の錯誤】を巡るサイコロジカルなストーリーへと逸脱してゆくのだ。
主人公の名はサイモン(ジェームズ・マカヴォイ)。彼はオークションの競売師だが、ギャングたちと結託してオークション絵画を強奪する計画に手を染める。しかし成功と思われた計画はサイモンが奪われた絵画を隠す、という突然の裏切りにより暗礁に乗り上げる。しかも、乱闘により頭を強打したサイモンは部分的記憶喪失に至り、絵画の隠し場所の記憶を失ってしまう。業を煮やしたギャングのリーダー、フランク(ヴァンサン・カッセル)は、催眠療法によってサイモンの記憶を呼び戻すことを思いつき、催眠医療士エリザベス(ロザリオ・ドーソン)とサイモンを引き合わせる。ところが平凡な町医者の筈のエリザベスが、ギャングたちに積極的に関わってサイモンの記憶を呼び戻すことに協力しようとするのだ。
この物語は冒頭から様々な謎が張り巡らされている。なぜサイモンは突然裏切ったのか?絵画をどこに隠したのか?エリザベスが積極的に関わる理由は何か?断片的に蘇るサイモンの奇妙な記憶は何を意味しているのか?そして物語が進み真実が明らかになるにつれ、サイモン、フランク、エリザベスへの観客の第一印象が次々塗り替えられてゆくのだ。
策略によって登場人物たちが騙し騙され、といった物語は多々あろうが、この『トランス』では、【主人公の記憶】に、まず主人公自身が騙され、主人公を取り巻く登場人物たちが騙され、さらにこの映画を観ている観客自体が騙されてゆく。それは、【記憶】の断片自体は間違いなく主人公のものだけれど、前後の脈歴が喪失し、さらにそこに「思い込み」が加わることによって、パーツの組み立てが誤った【記憶の再現】が成されてゆくからなのだが、この物語に関わる者は、それが誤ったパーツの組み立てなのか正しいものなのか、認識する術が全くないのだ。
さらに催眠療法の施術法の一つである【強烈な暗示】による相手の誘導が描かれることにより、どこかで誰かが暗示によって行動しているのではないのか?という疑惑が観ている者の中に芽生えることになる。こういった【記憶の錯誤】【暗示による行動への疑惑】がない交ぜとなり、どこまでが真実でどこまでが錯誤なのか、そもそもここで起こっていること自体が夢オチにでもなってしまうのではないか、そういった混乱と不安を膨らませながら、物語は思いもよらぬ結末へとなだれ込んでゆくのだ。
作品的には手堅くまとまった小品で、強烈な印象を残すというほどのものではないのだが、主演3人の癖のあるキャラクター演技は楽しく、アンダーワールドのリック・スミスの音楽がボイル監督らしいニヤリとさせられるスタイリッシュさで、実にイギリス映画らしい出来栄えの作品という事が出来るだろう。
ちなみにこの映画で強奪されたゴヤの「魔女たちの飛翔」は、不気味で超現実的な絵画だが、宙に浮かぶ三角帽子の3人が若者をかき抱く様子は【理性】への飛翔を、地上で蠢く人間たちは【理性の拒否】をあらわしているのだという。【真実の記憶】の狭間で引き裂かれてゆく主人公を描くこの物語にとっては、まさに暗示的な作品だといえるだろう。


トランス オリジナル・サウンドトラック

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