インド映画は幸福の匂い〜映画『きっと、うまくいく』

■きっと、うまくいく (監督:ラージクマール・ヒラニ 2009年インド映)


かつて同じ学び舎で友情を育んだ3人の大学生、ランチョー、ファンルハーン、ラージュー。卒業から10年、その中の一人で行方不明になっているランチョーが街に戻ってくると聞きつけ、ファルハーンとラージューは大学へと駆けつけた。ここから物語られるのは、10年前の3人の、笑いと悲しみ、喜びと怒り、そして恋と人生に真剣に悩んだ青春の日々。そしてその中で一風変わっていた男、ラージューとは誰だったのか?彼はなぜ姿を消したのか?そして今何をしているのか?卒業から10年後の今、それぞれの人生がもう一度交差しようとしていた…インドで大ヒットを飛ばしたという映画『きっと、うまくいく』はそんな物語なんですね。
インド映画って上映時間がとっても長くて、派手で煌びやかで、歌と踊りがふんだんに盛り込まれて、スラップスティックでナンセンスで…というイメージがあるし、今までたった数本しか観たことが無いインド映画がそもそもそんな映画ばかりだったんですが、この映画『きっと、うまくいく』は、もちろんそんな要素はきちんとあるにせよ、テーマの本質にあるのは現代インドに生きる若者たちの人間模様であり、等身大の悩みや苦しみだったんですね。
この映画の舞台となる工科大学は、いわばインドのエリート校です。人口が多くて、貧富の差が激しくて、経済的にも上向きのインドは、極端な競争社会なのらしく、この映画ではそれが描かれているんですね。カーストとか不可触賤民とか現在でもあるようなんですが、きちんと学問を学んだものは上を目指せる、逆に言えば、学問を成さないものは決して這い上がれない、そういう社会だというんですね。そんな中でエリート校に進めたのならそれでいいじゃないか、と思えるかもしれませんが、その中でも今度は競争に耐えられなくなって絶望して自殺してしまう若者が出る。映画でも語られていましたがインドは世界でも有数の学生の自殺者が多い国なのだそうで、物語中でも幾つかの自殺が描かれていたりします。
さらに、最もお金になるのはエンジニアなんだ、と親に進路を強制されて、自分の思った進路に進む事が出来ない。エンジニアになる事が出来ないものなんか落伍者でしかないような扱いさえ受けてしまう。そんな、自分らしさ、というものを全く無視されたところで、インドの若者たちは物凄く窮屈な青春を生き、そして成功しても失敗しても、なんだか生き難い人生を歩むことしか残されていないことを実感しているんです。
そんな息苦しい学生生活に風穴を開けたのが、物語のキーパーソンであり、そして現在謎の失踪中とされている青年、ランチョーなんですね。ランチョーは破天荒な男で、学校のつまらないルールには無頓着を気取るかハナから無視し、尊大な学長の権力的な態度は鼻で笑っておちょくりを掛けます。いたずら好きだが性格明朗、友情には篤く頭も切れる、なんだか出来すぎなキャラとも言えますが、そんな彼が困難な状況に遭った時に唱えるのが「きっとうまくいく」という言葉で、それがこの映画の日本タイトルにもなっているんですね。すなわち彼はインドの近代的自我と合理的精神、そしてポジティビティを体現している、というわけなんですね。
ただしその主人公のあからさまな程のポジティビティと、出来すぎ感の強い人物造形、「人の為になる学問をしよう!」とか「自分らしく生きよう!」といったようなどことなく面映ゆい物語展開は、ちょっと昔の日本の喜劇を見せられているような、ある意味古臭さを感じさせる部分もあるんですよ。コメディというよりも「喜劇」なんですよね。これは日本の高度経済成長期に育まれた「喜劇」と現在高度経済成長期にあるインド的なドラマがシンクロしている、っていうことなんではないかと思ってたんですが、そんなことを考えてたら町山智浩さんが既にこの映画『きっと、うまくいく』をクレイジーキャッツの「そのうちなんとかなるだろう」に掛け合わせた話をされていたのを発見して、まあそっちのほうが話をきちんと説明しているのでYoutubeで視聴されるといいんだと思います!
そういった部分はあるにせよ、物語後半の畳みかける様に盛り上げまくるドラマ展開には思わずねじ伏せられちゃうんですよ。「ああこの手できたのね」と分かっていても、これでもかこれでもかと涙腺を波状攻撃されてしまい、「ああもうしゃあねえな!」とばかりに涙を拭く始末。間に程よくギャグもちりばめられてなお一層気持ちも和んじゃうんです。ベタでも王道でも、そこはカーマスートラを生み出したインド5000年の歴史、やることがテクニシャンなんですよねえ。そしてあの爽やかなラスト、きちんと幸せが待っていて、「いい映画観させてくれてありがとやんした!」と言って劇場出られますよ。そういえば映画のクライマックスに用意されたロケーションの透き通るように美しい空と水と大地、「インドにもこういう土地があるんだ?」とびっくりさせられましたが、調べてみたらインドのジャンムー・カシミール州東部の地方、ラダックと呼ばれる土地らしく、映画の雰囲気を素晴らしく引き立てておりましたよ。