もう神はいない。〜『神は死んだ』 ロン・カリー・ジュニア著

神は死んだ (エクス・リブリス)
神は死んだ。ダルフール紛争の激化するスーダンで、アメリカ国務長官コリン・パウエルとの面談の後、銃撃戦に巻き込まれて。
ロン・カリー・ジュニアの描く小説『神は死んだ』は概念としての【神】ではなく、現実にこの世界に血肉を伴って現れた神が死に、それにより絶望の中に叩き落された世界を描く連作短編集である。
神が血肉を伴い出現し、そして死ぬ世界。それにより変質してゆく未来。神無き世界の空洞化した生の意味を求め、異様な価値観と思想が生まれ、それが対立しながら新たな紛争が世界を火の海へと変えてゆく世界。一見SFのようでもあり、そして文学小説のようにも描かれるこの小説の立ち位置は、「スリップストリーム文学」ということができるだろう。この言葉はサイバーパンク作家・ブルース・スターリングによって生み出されたものだ。

スリップストリーム(Slipstream)は、SF/ファンタジーなどの非主流文学とか主流(メインストリーム)の純文学といった型にはまったジャンルの境界を越えた、一種の幻想文学もしくは非リアリスティックな文学のことである。伴流文学、変流文学、境界解体文学とも言われる。
Wikipedia:スリップストリーム (文学)

物語は9つの章に分かれ、それぞれが舞台となる場所や登場人物たちを様々に変え、時系列を追いながら、「神の死んだ世界のその後」を描いてゆく。神が死ぬまでの経緯を描いた「神は死んだ」、いつもの日常に突然現れた災厄の予感「橋」、絶望した若者たちの自殺ゲーム「小春日和」、神無き世界で今度は子供に神性を見出そうとする歪んだ社会を描く「偽りの偶像」、これもまた絶望の一齣である「恩寵」、神の死体を食べ、知性を得てしまった犬たちが辿る顛末を描く「神を食べた犬へのインタビュー」、"進化心理学"と"ポストモダン人類学"という新興思想勢力が人類を二分し血で血を洗う戦乱が進行してゆく「救済のヘルメットと精霊の剣」、さらに絶望の一齣「僕の兄、殺人犯」、ラストの「退却」は終局を迎えた思想戦争により荒廃したアメリカの町の様子が描かれる。
【神無き世界の寂寞と絶望】を描いたこの物語だが、それは【血肉を伴って現れた神の死】という具体的な事件を持ち込むことにより、実際の【神無き世界】であるこの現実世界を、よりグロテスクに、そして異様なものとして描こうとしたのがこの物語の主眼なのだろう。訳者あとがきにも触れられているが、作者はニーチェの「神は死んだ」という言葉より、「カラマーゾフ兄弟」における「神がなければすべてが許される」という言葉にインスピレーションを得てこの物語を著したのだという。
しかし、SF小説が好んで描きたがるようなディストピアの出現するこの物語ではあるが、実の所SFとしても文学としてちょっと詰めの甘い部分があるように感じた。そもそも【神無き世界】というテーマはそれほど新しいものではなく、同一テーマなら例えば文学であるならコーマック・マッカーシーの諸作のほうがまだ臓腑を抉る筆致を見せているし、異様な新興思想勢力同士の対立する未来社会、そしてその戦争、というならSF小説に幾らでも傑作は見出せる。むしろ【神無き世界の寂寞と絶望】にこだわらず「神を食べた犬へのインタビュー」に見られたような想像力の飛躍を描き込むべきだったのではないか。【絶望】を描く点景の物語は一つだけにし、それよりも異質に変質した世界の物語がもっと欲しかったように思う。「子供の神性化」や「"進化心理学"と"ポストモダン人類学"」など短編それぞれに提出されるアイディアは面白かったので、それを展開しより一層グロテスクな世界を形作ってもらいたかったように感じた。

神は死んだ (エクス・リブリス)

神は死んだ (エクス・リブリス)