チンピラどものしょうもない日常〜ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『プッシャー』トリロジー観たぜ


『ドライヴ』で一躍注目を集めたニコラス・ウィンディング・レフン監督がデンマーク時代に制作したチンピラ映画『プッシャー』3部作を観ました。『ドライヴ』という映画、オレはとても面白く観たのですが、にもかかわらずなんだか掴み所が無い部分も感じていたんですよ。それは映画の出来不出来というより、自分の中でレフン監督という人のやっていることを上手く言語化できないもどかしさがあるということなんですね。その後監督の『ヴァルハラ・ライジング』や『ブロンソン』を観た後も同様な感覚を覚えました。だからレフン監督というのは好きな監督というより、「この人、いったいなんなんだろう?」という妙な興味を覚える人なんですよ。さて映画『プッシャー』ですが、「プッシャー」というのは麻薬密売人のことを指す隠語です。この3部作はコペンハーゲンに住む売人たちの日常を描いたものなんですね。

■プッシャー (監督:ニコラス・ウィンディング・レフン 1996年デンマーク映画


主人公は売人のフランク。彼は相棒のトニーと共に元締めであるミロの下で麻薬を売り歩いていた。フランクはある日、大口のヘロイン取引に飛びつき、ミロに借金してヘロインを手に入れるが、警察の手入れにより取引は失敗、ヘロインを失い借金だけが残ってしまう。そしてミロの執拗な借金取り立てが次第にフランクを追いつめ…という物語。
しかしハードな犯罪ものというよりも、ぐうたらな売人生活を送るフランクと、アホ丸出しのトニー、妙に人懐こいが目つきだけは冷酷に光るミロのおっさんぶりを、一見ダラダラ〜と描く物語になっている。要するに社会の裏側にいる連中のダメさ、しょうもなさがこの映画の主題となっているのだ。薬を売っていることを除けば(というか薬を売っているからこそともいえるが)、ここで描かれるのはダメ人間の日常とそのダメさをこじらせた挙句の破滅の物語だ。インチキで、無計画で、成り行き任せで、思い付きだけで生きている人生。未来なんて知ったことか。今さえありゃあいいんだ。目の前の金さえありゃあいいんだ。そんな虚無と刹那に彩られた主人公が馬鹿であるばかりに当たり前のように追いつめられ転落してゆく。いや、もともと駄目なものがもっと駄目になってしまっただけ。そしてそんなクソ下らない主人公の日常の中に突如割り込んでくるバイオレンス描写。このダラダラの日常と生々しい暴力との緩急と対比がレフンらしいと言えるのではないか。砂を噛むようなどっちつかずのラストも余韻があっていい。
なおこのDVDにはレフン監督自身を追ったドキュメンタリー『ギャンブラー ニコラス・ウィンディング・レフンの苦悩』がまるまる収められている。これは監督第3作『Fear X』(2003年)の興行的失敗により、多額の負債を抱えたレフン監督の苦悩を描いたものだ。単発のソフト発売は無いようなのでファン必見かも。

■プッシャー2 (監督:ニコラス・ウィンディング・レフン 2004年デンマーク映画


主人公は「プッシャー」でフランクの相棒だったトニー。このトニー、タトゥーとスキンヘッドで一応コワモテな雰囲気を出そうとしているが、面構えはアホ丸出し、当然やることなすこと考え無しのバカ街道一直線な男だ。このバカ男トニーがム所から出所してくるところから物語は始まる。出所しても箔が付くどころかギャングの父親からクソ呼ばわりクズ呼ばわりされるだけのトニー。おまけにム所に入れられる前につきあっていた女友達との間にガキが出来ていたことが発覚、その女に会いにいくもやっぱりクソ呼ばわりクズ呼ばわりされるトニー。クソでクズの連中からクソでクズ呼ばわりされるトニーのクソダメぶりがどこまでも哀しい。しかしトニーはそんな汚名を返上すべく男を上げる仕事(まあ売人と暗殺だが)をしようとするのだが、やっぱりバカでクズだからなにもかもが裏目に出て…というお話。
どこまでも情けない人間のどこまでも情けない人生とその顛末。この「2」も「1」と同じくダメ人間のダメな日常がグズグズと描かれる。しかも「1」の主人公フランクさえ及ばないほど「2」のトニーは脳タリンのおバカさん、さらに周りもみんなトニーをバカ認定。こんなサイテーな人生なんてありゃしない。「パパに認められたい!」だの「父親として認知してほしい!」だの承認欲求は人並みにあるのだけれども、バカだからどうしていいのかわからない。わからないから空回りする。空回りした挙句頓珍漢なことをしでかして、なおさら深いドツボにハマる。ドツボからより深いドツボへ、ドツボ渡り歩きのドツボ人生。ああダメだ!何もかもダメなんだぁあぁ〜〜ッ!!でもいくら叫んでも誰も聞きなんかしやしない。だってこいつ、バカなんだもん!ああ、なんて悲惨な人生なんだ。

■プッシャー3 (監督:ニコラス・ウィンディング・レフン 2005年デンマーク映画


主人公は「1」「2」で麻薬売人の元締めとして登場したおっさんミロ麻薬王!マフィアのドン!の筈のミロなんだが、映画開幕早々、ドラッグ断薬会でドラッグの無い生活の素晴らしさ切々と語るミロ。場面変わって娘の誕生パーティー準備に追われる甲斐甲斐しいミロ。でもミロの娘は父親をボロクソ。お次はミロの経営するレストラン。ミロの作った料理で食中毒になり便所から出てこれない阿鼻叫喚状態のミロの手下たち。そんなミロのもとに新規の麻薬取引を持ち掛けてきた若手ギャング。いかな麻薬王だろうと、若手ギャングにとっては古臭い耄碌ジジイに過ぎず、ナメた口ばかり叩かれるミロ。ああもう耐えられない、ドラッグ一発キメて落ち着きたい…。そんなミロだったが、若手ギャングの横柄な態度に遂にブチ切れ、ここからシリーズ最大の大スプラッターシーンの始まり始まりぃ〜!!
これまで最下層のチンピラたちの最下層な日常を描いてきた「プッシャー」トリロジー、3作目にして掉尾を飾るのは麻薬王ミロのイライラ人生である。このミロ、これまでのシリーズでも見せてきたのだが、一見人当たりが良く、面倒見も良さそうで、親方なりの貫録と懐の深さを伺わせていた。借金返せないやつにも、五月蠅いことをいうやつにも、まあまあ話を聞こうじゃないか、とにっこり笑って相手の肩を抱き、義理人情としきたりで成り立つ任侠世界を説いていたりするのである。だが、仏の顔も三度まで。仏でさえないヤクザ者にとっては二度ぐらいまで。どうしても聞き分けのないアホに対しては掌返して血の返礼を叩き込むのだ。その、我慢に我慢を重ねた挙句のクライマックスでのスプラッター大会がとても美味しい作品であるが、それよりも、娘の誕生パーティー会場と売人との打ち合わせに使う自分の店とを延々行ったり来たり行ったり来たりしながらどんどん消耗してゆくミロの、疲れ切ったオッサンぶりがなによりも可笑しく物悲しい物語であったりするのだ。

■というわけで『プッシャー』トリロジー

レフン監督、ということでなければ観る機会を持たなかったような題材の物語ではあるが、実際観てみるとレフン監督作品という色眼鏡を抜きにしても楽しむことができた。ハンディカメラを多用したドキュメンタリー・タッチの映像、荒んだ世界と荒んだ登場人物、ユルくダルい日常とユルくダルいユーモア、そしてその日常の中で突発的に巻き起こる暴力、これらの要素が奇妙に危ういバランスで混在している様が実にユニークなのだ。レフン監督に感じるのはこの「奇妙なバランス感覚」で、平たく言うならどこか変なことをしている人、ともいえる。一般的に考えられるような映画作品の文脈とはどこかずれたことをしているのだが、それが恣意的というよりはどうも天然でやらかしており、恣意的でない分監督個人の中でブラックボックス化していて、少なくともオレにとっては「それがどう変なのか」言語化し難いのだ。それはある意味デヴィッド・リンチ的な分裂症的気質の元に、危うい均衡で成り立っている創作活動なのかもしれないが、だからこそ奇妙にエキセントリックな芸術性を感じさせるのだろう。

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