デヴィッド・ボウイ会心の復活アルバム『The Next Day』!


デヴィッド・ボウイがニュー・アルバムを出す。そう知った時の驚きと喜びは、それこそ筆舌に尽くしがたいものだった。なんといったって"あの"デヴィッド・ボウイだぜ!?
オレがロックなんてものを聴き始めた10代の最初の頃からボウイは別格中の別格だった。まあキング・クリムゾンロキシー・ミュージックも別格ではあったが、オレにとってロックというのはなにしろボウイだった。あれから足掛け何年ボウイのファンをやってきたのか、指を折って数えてみたら35、6年だった。1stとティン・マシーンは持ってないが、他のアルバムはとりあえず全部揃えた。渋谷公会堂にライブ映画「ジギー・スターダスト」を観に行き、映画にアンコールの拍手をした。「レッツ・ダンス」絶好調の時に横浜スタジアムでシリアス・ムーンライト・ツアーを観て、「きゃああああボウイィ〜〜〜!!」と男にあるまじき黄色い声を出した。ボウイの主演映画「地球に落ちた男」は自分の永遠のオールタイム・ベストテン映画だった。まあ途中離れた時期もあったが、それでもオレにとってボウイは血肉であり、ロック・ミュージックの原点だった。
いかん。今回思い出話を書くつもりはなかったんだ。でも自然に書いちゃったよ。すまん。
だが、ボウイの新作とは言っても、前作からは10年のブランク、ボウイも66歳、そしてアルバム発売のアナウンスと共に公開されたニュー・シングル「Where Are We Now?」は、憂いに溢れた美しい曲だったけれども、やはりどこか年老いた者の諦念を感じる様な曲だった。かつてのボウイは、決してこんな曲は作らなかった。ああ、確かに誰もがいつまでも若くはいられない。というより、他の多くの同年代のロック・ミュージシャンと比べたら、これでもまだ意欲的にやってるほうじゃないか。それならそれでいい。それに、聴いているオレだって、実際年老いた。ロックとSFだけが世界だったニキビ面の男子中学生は、今や生活習慣病とリストラに怯えるメタボ老年だ。だから年老いたボウイを、両手を広げて迎えてあげようじゃないか。

そうして届いたボウイのアルバム、「The Next Day」はまずジャケットが妙だった。いや、以前から公開されていたジャケットだったが、あんまりにも変だったので、「これは仮ジャケットなんだろ?」と勝手に思ってたのだけれども、実はそれが本当のジャケットだったのだ。どんなジャケットかというと、ボウイのかつての名作アルバム「"Heroes"」のジャケットの真ん中が大きく白抜きしてあり、そこにアルバムタイトルが入っていて、元のジャケットのタイトル「"Heroes"」はマジックの線のようなもので塗り潰されているのだ。投槍にも見えるし、余計な気負いのなさを見せようとしているようにも思えるし、「"Heroes"の次の日」というメッセージがあるようにも見えるけれども、そもそもこんなジャケットを出してくるアーチストなんて見たことが無い。ボウイによるとこれは「『Heroes』のカヴァーを白い紙で覆ったのは、“いま現在の”素晴らしいポップ、もしくはロック・ミュージックのスピリットの象徴であり、過去を忘れる、または抹消することを意味する」なのだということらしい。(デヴィッド・ボウイ、新作のカヴァー・アート誕生の経緯/BARKSニュース
というわけでCDトレイに恐る恐るCDを差し込んでボウイのお手並み拝見とばかり身構えていたが、スピーカーから流れてきた1曲目から早速ぶっ飛んでしまった!「なにィ〜〜ッ!?」そこには、憂いでも老いでも諦観でもない、最高に喧しい演奏と、バリバリに現役なボウイの、張りに満ちたヴォーカルが聴こえてきたのだ!!うわあ、やられた、見事に騙された!あとからライナーノーツなんぞを読んだら評者も同じことを書いてたし、きっと全世界のボウイ・ファンもこの1曲目を聴いて椅子からずり落ちるなりカフェオレ吹いたり車の運転を誤ったりしたに違いない。
そこから続くボウイの曲の数々は、10年のブランクなぞ無かったに等しい、さらに言ってしまえばここ最近のボウイのキャリアの中でもダントツと言っていい程の高いクオリティを誇る名曲・傑作曲が並び、そしてそれらはきっちりとボウイらしいアグレッシヴさで彩られているのだ。66歳でこのアグレッシヴさ。年齢なんか感じさせるどころか、昔から感じていたことだけれども「この人はやはり人を超越した何者かであるのかもしれない」とさえ思わしめましたよ、ええ、ええ。アルバムを聴く前は「今の若いロック・ファンの皆様にあらせられましてははかつての人気アーティストだったボウイの新曲なんぞを聴いたらどのような風に感じるのでございましょうかねぇ?」などとちょっと卑屈な感じで思ったものだったが、こうしてアルバム1枚聴いてみると、「昔も、今も、これがロックだ!ロック好きなら聴くがいいんだ!ええと、デヴィッド・ボウイのニューアルバム、よろしくお願いします」と胸を張って言える。何に対して胸を張っているのかは分からんが。
「きっちりとボウイらしいアグレッシヴさ」と書いたが、確かにこの人はこれまでもずっと異様なアグレッシヴさでアルバムを作り歌を歌ってきた。ボウイをいつも「人を超越した何者かもしれない」と思わせてしまうのは、そのアグレッシヴさを何十年も常にキープし、それを音楽創作に向け続けている、ということからだ。それも、無理したり頑張ったりではなく、それが常態となっているのだ。はっきり言って、常人なら死ぬか廃人になっているレベルだろうし、ちょっと歳とったロック・アーティストなら懐メロ大会やってお茶を濁している程度で終わってしまうのにだ。ボウイが「NMEの選んだ20世紀で最も影響力のあるアーティスト」とか「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」とかに選ばれるのは、そのソング・ライティングやパフォーマンスの超絶的なセンスからだけなのではなく、ロック・ミュージックにとって最も必要不可欠なもの、アグレッシヴであるということを、そのアーティスト人生全てにおいて体現し続けているからということに他ならないのではないか。
「Where Are We Now?」に続くシングルは「The Stars(Are Out Tonight)」。PVはなんととてもとても美しい英国女優ティルダ・スウィントンと共演、そしてそのオープニングは映画「地球に落ちてきた男」のラスト・シーンを思い起こさせ、映画の主人公であったトーマス・ジェロームニュートンがもしも普通の生活を送り愛する人と幸せに暮らしていたら…という風に見えつつ一転、なんだか怪しい雰囲気に、といったもの。そもそもボウイは歌詞にしてもPVにしても単一の解釈だけで済むような作りをしないから、これだけを観て「こういう意味です」といったことは言い難いけれども、ここでも新旧の世代交代、そして移り行く時代性が描かれているのかもしれない。

アルバム全体的には「Lodger」の持つバラエティの豊かさを「Scary Monsters」の持つ性急でラウドなギターで演奏しつつ「Black Tie White Noise」の骨太の円熟味で余裕を伺わせ、そこに「Ziggy Stardust」のロックン・ロールと「Low」の捻じれた空間性と「"Heroes"」の冷ややかな空気感を加味している、といった所だろうか。シングル曲以外では「Valentine's Day」や「Dirty Boys」の、アルバム「Aladdin Sane」を思わせる甘やかな切なさと混乱がお気に入りだ。「Boss Of Me」は「Diamond Dogs」の如きダークさだし、「Dancing Out In Space」のアンビエントなギターも捨てがたいし、「How Does The Grass Grow?」の「ヤーヤーヤー」と歌う所なんかもいい。
しかしこうやって並べつつも決してセルフ・コピーに堕ちることなく、どの曲にもボウイの全てが詰まっていて、そして全てが驚くべき新鮮さでパッケージされている。まさに、まさに、驚くべきロック・アルバムだ。これからまた頻繁にアルバムを出すことがあるような気はしないけれども(いや、またしてもびっくりさせられるかもしれないが)、それでも、またこうしていつかボウイのニュー・アルバムと出会う喜びが未来に待っていることを期待したい、いや、それよりも今目の前にあるこのアルバムをもっと堪能することが先決だ。かつて「ボウイ復活!」と謳われた「Black Tie White Noise」の発売された時の喜びを今でも覚えているように、オレはこの2013年をボウイのニューアルバムが発売された年としていつまでも記憶し続ける事だろう。
《参考》
かつてこのブログで書いた青臭くて思い入れたっぷりのボウイ論とアルバム・レビューです。長いですがお暇な方はどうぞ。
■デビッド・ボウイ・リバイバル その1
■デビッド・ボウイ・リバイバル その2
■デビッド・ボウイ・リバイバル その3
■デビッド・ボウイ・リバイバル その4
■デビッド・ボウイ・リバイバル その5
■デビッド・ボウイ・リバイバル その6
■デビッド・ボウイ・リバイバル(番外編) 映画「地球に落ちてきた男」
■地球に落ちてきた男、あるいは酒についての考察
■David Bowieのライブ・アルバム
■The Collection / DAVID BOWIE
■クリスチーネF
■Breaking Glass/David Bowie■デビッド・ボウイ/ロウ ■アルバム《ロウ》とオレ

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