冬の町、冬の土地、冬の人々。〜アリステア・マクラウド珠玉の短編集『冬の犬』

■冬の犬 / アリステア・マクラウド

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)
18の歳まで過ごしていた北海道には、季節は冬と夏しかなかった。春は「雪は解け出したがまだまだ寒い季節」で、ぐずぐずと溶けだした雪が泥水となる不快な時期だった。秋は「本格的な冬になる前の寒い季節」で、あっという間に終わった短い夏を追いやるように寒さが凍み込んでくるもの寂しいだけの時期だった。そして夏は「雪の無い小休止の季節」で、陽光や暑さを楽しむというよりも、次の冬に備えて英気を養うための、束の間の休息の時期だった。北海道という土地は広いので地域にもよるのだろうが、8月でも20度以下の気温が続く日もあった。要するにいつでも、だいたいが、寒かった。
そして冬は、ひたすら耐え忍ぶ季節だ。一年のうち半分は、冬のようなものだったから、一年のうちの半分は、ひたすら耐え忍ばなければならないのだ。それは寒さや雪ばかりではない。時期によっては、陽の差さない天気が幾日も続き、どんよりと曇った灰色の空と、永遠かと思わせるほど雪を吐き出す黒い空のどちらかを、毎日毎日眺めながら過ごした。灰色の空と雪で覆われた白い地面。自分の住んでいたのは海沿いの町だったから、そこには寒流の、凍える様な白い波頭を頂いた灰色の海も付け加えられた。冬の間、自分の取り巻く世界は、どこまでもモノトーンだった。その風景は眺めれば眺めるほど気の滅入るものだった。だから冬というのは、寒さや雪ばかりだけではなく、押し潰されそうなまでの陰鬱さを耐え忍ばなければならない時期でもあった。
そんな冬を嫌いだったのか、と訊かれれば、嫌い、というものではない、と答えるしかない。では好きか、と訊かれても、そうではない、と答えるだろう。冬の寒さも雪も陰鬱さも、それはどうしようもないもので、それはもともとそうだからそうなっているもので、好きだの嫌いだのと言うものではなく、そういうものだ、と言うしかないものなのだ。ある意味それは、その土地に住まざるを得ない者の宿命であり、労苦であり、だからそれを粛々と受け入れ、その日すべき日々の行いを忍従を持ってこなしてゆくだけのことなのだ。だから冬の寒さの中で生きることの喜びさえ、見出そうとする。冬は、そこで生きている者にとって、体に染みついたものであり、不可分の血と肉であり、空気を吸い水を飲むように、寒さの中で生きる術を体現してゆく時期なのだ。北国の冬は敵でもなく、味方でもない。最初からそう成り立っている、世界の仕組みでしかない。
それでも、時々思うことはあった、なぜ自分はこんな厳しい土地に住んでいるのだろう?と。それはもちろん、そこで生まれたからだが、では自分を生み育てた両親は、そしてまたその両親を生んだ先代の人々は、なぜこんな土地までやってきたのだろう?なぜこんな土地で生きようと決めたのだろう?そしてなぜこんな土地で生き続けなければならなかったのだろう?端的に言うなら生活の糧を、生活し家族を養う糧を求め、そしてその糧である仕事があったからなのだろうけれども、それでも、なぜ過ごしやすい地方でも暑く暖かい地方でもなく、過酷な極寒のこの地だったのだろう?なぜここを選ばなければならなかったのだろう?そんなことを、あの土地に住んでいたとき、時々ぼんやりと、考えていたものだった。
カナダの作家、アリステア・マクラウドの短編集、『冬の犬』を読んでいたとき、北海道にいた時期にぼんやりと考えていたそんな物事が、妙に思い出されてならなかった。寒く厳しい土地を舞台に、そこで生きる人々の姿を、共感と哀感でもって描いたアリステア・マクラウドの小説には、始終その物語のどこかに、自分がいる様な気がしてならなかった。あの北海道の、雪に閉ざされた町で、蒼白の雪と、鉛色の空ばかり眺めながら、10代を過ごした自分の生の欠片が、彼の描く物語のどこかに紛れ込んでいるように感じてならなかった。描かれる土地も、人種も、時代も、生活ぶりも違っていても、そこにあらわれる冬の光景と、そこに重ねあわされる登場人物たちの心象とが、あまりにも自分の見知ったものに似すぎていて、物語のすべての舞台となっている、カナダの島、ケープ・ブレトン島が描かれていても、自分はそれを読みながら、かつて自らが過ごした、北海道の小さな港町を思い浮かべてしまっていた。
そこには、厳しい自然の中で、望むも望まぬも無く、そこで生きざるを得ない、そこで生きる事しか知らない人々の、脈々たる歴史と家系が存在し、人々はその土地で、自分のできることをし、あるいはできなかったことを悔やみ、淡々と生き、人を愛し、子を生み育て、仕事をし、そして老いて、いつしか死んでゆく。ここでは人生への讃歌や自然への畏敬が描かれるのではない。ただ、自分たちは確かにそこにいて、そこに生きた、という、溜息のようにささやかな、生の記録があるだけだ。それでも、それら全ての生は、どれもが愛おしく、胸を打ち、共感に溢れている。珠玉という言葉があるが、その言葉がまさにあてはまるような、磨き上げられた珠を思わせる、極上の短編集『冬の犬』。本を読むのが好きな方であれば、きっと堪能できる作品集であるに違いない。あと、動物が、特に犬が頻繁に登場するので、動物好き・犬好きの人にもお勧めです。

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

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