最近読んだ本あれこれ / 『予告された殺人の記録』『インド夜想曲』『ブエノスアイレス食堂』

予告された殺人の記録 / G・ガルシア・マルケス

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

マルケスが自身の最高傑作と呼ぶこの『予告された殺人の記録』は、実際の事件をモデルにマルケスがフィクショナルな要素を混在させたルポルタージュ・フィクションといった体裁をとっている。貧しく閉鎖的な田舎町の外からやってきた金持ちの男が町の娘を見初め、破天荒なほどに大盤振る舞いの婚礼を挙げるが、その翌朝、娘の二人の兄がある男を殺す、と町中に触れ回り、そして町人たちが周知の中、誰も止められないままに惨たらしい殺人事件が行われてしまうのである。その事件の経緯を、マルケスは住民たちの様々な視点を通し、時間軸を錯綜させながら、「それはなぜどのようにして起こったのか」をじっくりと物語ってゆくのだ。それ自体が異様な殺人だが、物語は決して単なる犯罪ドラマに至ることなく、マルケスの筆致はあたかも殺人でさえある種の祝祭であるかのように描写する。絢爛豪華な婚礼の儀と呼応するかのような、生贄の儀式にも似た血塗れの殺人。マルケスは、『百年の孤独』をはじめとするマジックリアリズムとはまた別の方法論で、古い因習と土俗が何一つ躊躇することなく近代を飲み込んでしまう様を描き出そうとしたのだろう。

■インド夜想曲 / アントニオ・タブッキ

失踪した友人を探してインド各地を旅する主人公の前に現れる幻想と瞑想に充ちた世界。ホテルとは名ばかりのスラム街の宿。すえた汗の匂いで息のつまりそうな夜の病院。不妊の女たちにあがめられた巨根の老人。夜中のバス停留所で出会う、うつくしい目の少年。インドの深層をなす事物や人物にふれる内面の旅行記とも言うべき、このミステリー仕立ての小説は読者をインドの夜の帳の中に誘い込む。イタリア文学の鬼才が描く十二の夜の物語。

アントニオ・タブッキはイタリアの小説家。ヨーロッパ人がアジアやアフリカなど文化の違う国を訪れてその異質な文化に飲み込まれ、西欧白人的アイデンティティを失う、という話はよくあるのだが、この『インド夜想曲』はそういった異文化衝突の話というよりは、主人公がヨーロッパ人的なアイデンティティのまま異国であるインドの国を楽しみながら観光している、といった風情が漂う。なんというかいいホテル泊まり過ぎ。だがしかしそれはそれでインドの町を観光客的に眺めている描写は楽しめるし、その中で描かれる奇妙なもの、異様なものとの遭遇は語り部である主人公と一緒になって驚いたり怪しげな気分になったりできる。言うなれば「ちょっと不思議なインド紀行」といった感じの小説に仕上がっている。

ブエノスアイレス食堂 / カルロス・バルマセーダ

故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇が交錯し、双子の料理人が残した『指南書』の驚嘆の運命、多彩な絶品料理、猟奇的事件を濃密に物語る。「アルゼンチン・ノワール」の旗手による異色作。

邦題である『ブエノスアイレス食堂』だと異国情緒溢れる人間ドラマを連想させられるが、実はこの作品、原題を訳すと『食人者の指南書』ということになっている。確かに冒頭ではおぞましい食人事件が描かれるのだが、それは冒頭だけで、残りの殆どのページはアルゼンチンのある町に建つブエノスアイレス食堂がどのように始まり、どのような料理人がその店で腕をふるい、どのような極上料理を供し、それがどれだけグルメたちの絶賛を浴びてきたのかを事細かに描写するのに費やされる。料理人たちは殆どがイタリア系移民だが、実際にもアルゼンチンのほぼ50%は多かれ少なかれイタリアの血を引いているのだという。そんな食にうるさいといわれるイタリア人の、その料理人が作る料理を、ありとあらゆる食材や調味料の名前を列挙しながら、これでもかこれでもかと紹介してゆくのがこの物語のメインなのだ。正直、読んでいてこんなに腹の減る小説も珍しかった。しかしこの小説は決してグルメ物語というのではなく、冒頭の食人エピソードが最終的にどういった物語に繋がってゆくのか、読むものにじっとりした不安(と期待)を与えながら進んでゆくのが面白かった。