可視化された不安〜映画『テイク・シェルター』

テイク・シェルター (監督:ジェフ・ニコルズ 2011年アメリカ映画)


田舎町で妻と聾唖の娘を持ち幸せに暮らしていた筈のブルーカラーの男が、ある日突然大規模災害の幻覚やら夢やらを見たばっかりに神経に変調をきたし「シェルターだあ!俺はシェルターを掘るんだああ!」と異常行動を起こして周囲から顰蹙を買いまくるという鬱々サイコ・スリラーです。分析的に言うなら強迫神経症の物語だということが出来ると思いますが、しかしあながち他人事だと笑えない映画でもあります。
男を苛んでいる不安というのは、災害によって幸せな家庭がなし崩しに消滅してしまう、という不安なのですが、そういう不安というのは大なり小なり誰しもが抱えているものであり、この主人公はその不安に対して人よりも過剰に反応してしまった結果としてこの物語があるといえるでしょう。さらに言ってしまえば、この男の抱える自然災害への不安というのは、物語ではあえて強調してはいないけれども、実は単調な仕事に対する不満であったり、口五月蝿い妻への不満であったり、聾唖の娘を持つことの心の重み、責任感、その娘の将来への不安、などが、自然災害への不安という形の違ったものへすり返られて噴出したのではないのかということも考えられるんです。こういった、自身が気付かない、気付いていないある種の不安、押さえつけている不満などが、全然別の形の不安や不満や怒りとして現れる、というのは、意外とどんな人にでも垣間見られることであったりするんです。本当の問題は自身にあるにもかかわらず、それに気付かないまま、社会や世間へ過剰に不安を感じる、或いは、過剰に攻撃的になる、という人は、意外とどこにでもいると思うんです。
そしてこの映画は、キリスト教的な側面もあると思います。周囲の嘲笑をものともせず、シェルター造りに勤しむ男の姿は、神の啓示を受け箱舟を作り始めたノアの姿そのものです。ノアも周囲から「洪水なんてやってくるはずがない」と笑いものにされながらも、それをはねのけ箱舟を作り続け、そして結局神の啓示通りに災厄がやってきます。この男の行為は、そういったノアの似姿であると同時に、新約聖書で予言された、世界の終わりである黙示録が、いつかやってくる、という不安を、別の形をとって表現したものであるともいえます。
さらに、予言されているにも関わらず、なかなかやって来ないその黙示録の世界が、さっさと早く訪れればいいのに、という「黙示録への待望」という側面もこの映画にはあります。災厄は訪れないほうがいいに決まっている。しかしここまで準備したのだから、訪れてくれなければ困る。そういったアンビバレンツな予定調和への渇望が、この男にも、そしてこの映画を観るものの心にも次第に沸いてきます。この映画は、現代に生きることの不安、そして宗教的背景のもたらす不安、その二重の不安でもって形作られた作品であるということができ、そういった不安を、サイコ・スリラーという分かりやすい形で描いた、秀逸な作品であると思います。そしてそんな不安の中、人目もはばからず遮二無二家族を守ろうとする主人公の父親像が、胸を打つ物語でもあるのです。

テイク・シェルター [Blu-ray]

テイク・シェルター [Blu-ray]

テイク・シェルター [DVD]

テイク・シェルター [DVD]