混沌と猥雑の未来インドを舞台にしたサイバー・ストーリー〜『サイバラバード・デイズ』

サイバラバード・デイズ / イアン・マクドナルド

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

分離戦争まっただなかのインド。サンジーヴの村にも戦火がおよぶ。アニメさながらの巨大ロボットの戦いに、子供も大人も大喝采。ロボット戦士にあこがれて、サンジーヴは都会へと向かうが…「サンジーヴとロボット戦士」、ダンサーのエシャは、レベル二・九という高い知性を持つAIの外交官A・J・ラオに求婚される。怖ろしいまでに魅力的な彼に、エシャはすっかり夢中になるが…。AIと人間との結婚が産みだす悲喜劇を描き、ヒューゴー賞、英国SF協会賞を受賞した「ジンの花嫁」など、猥雑で生命力あふれる近未来のインドを描く連作中短篇7篇を収録。

21世紀半ば、8つの国家に分離独立したインド。気候の変動により水資源の確保が困難になり、インド小国家どうしは水を巡って小競り合いを繰り返し、アニメの如きロボット兵器が国境で睨み合っていた。さらに水利権を得た者が富豪として都市に君臨し、新たなカーストを形成した。そしてこの頃、インドIT産業は急速な発展を遂げ、AIたちが繰り広げられるソープオペラが人気を博し、進化し過ぎたAIとその開発者は人類の脅威として厳しく取り締まられていた。しかしそういった科学の進歩とは裏腹に、カースト制度による貧富の差は相変わらず存在し、人々のヒンドゥーの神々への信仰は未だ衰えることがなく、そして聖なるガンジスの川は悠久の時を超えて流れ続けた。イギリス作家、イアン・マクドナルドの描くSF小説サイバラバード・デイズ』は、そんな近未来のインド世界を、7つの中短編で綴るオムニバス作品である。

作品の魅力はなんと言っても舞台となるインド世界独特のむせ返る様なエキゾチズムだろう。ロボット兵器や超AI、生物工学などのSFにはお馴染みのテクノロジーが登場しながら、それと同時にインド5000年の文化と歴史が未だ連綿と存在し、ヒンドゥーの神々の名が作品のここかしこにちりばめられ、インドならではの娯楽産業と社会問題と価値観、世界におけるIT大国としてのインドの立ち位置、そしてインドの地勢に由来する天候や環境の様子が人々の生活に影響を与える様子などが、欧米白人文化圏を舞台としたSF作品とは一味も二味も違う、ある意味「マサラSF」とでも呼びたくなるようなスパイシーかつこってりとした味わいを作品に醸し出しているのだ。

著者はイギリス人ではあるが、かつてインドを植民地支配したイギリス人ならではのインド文化理解がその背景にはあるのだろう。そのインド世界の描き方にはステレオタイプ的なものもあるのかもしれないし、注意して読むならインドならではの膨大な人口が吐き出す人いきれや歴史と宗教の重みが生む暗黒面に若干欠けているのかも知れないが、少なくともインドという国からイメージされる混沌と猥雑さは十分描かれていると感じた。そしてこれはパオロ・バチガルピSFからも感じることだが、欧米白人諸国とはまるで違うアジア文化のパワフルさが、描かれる世界そのものにガヤガヤとした活気をもたらしているのだ。

作品を紹介。「サンジーヴとロボット戦士」は内戦の続くインド国家同士の紛争に投入されたロボット兵器とそのパイロットに憧れる貧しい少年の物語。ロボット青春ドラマといったところか。「カイル、川へ行く」は戦争により厳戒態勢の外人居留区に住む少年と現地人少年の交流を描く物語。ここではインド世界の貧富の差と、先進テクノロジーの存在と大昔から何も変わらないインドの情景の対比を見ることが出来る。この2作作品自体はジュブナイル的な軽さだが、サイバー大国インドを描く『サイバラバード・デイズ』世界の導入部とみればいいだろう。「暗殺者」では水利権の獲得によりインド最富裕層となった二つの富豪一族の血で血を洗う抗争が冒頭に描かれ、そして抗争に敗れたった一人生き残った娘が復讐を誓う。現実においても河川を巡る水資源問題はインド/中国/パキスタン間で勃発しており、今日的なテーマであろう。さらに莫大な資産を持つハイ・カーストが国家の法をも凌駕して君臨するさまはかつてのインド王族を連想させて面白い。「花嫁募集中」は遺伝子操作で男女の生み分けが可能になったばかりに男女の人口比が極端に男寄りになり、成人男性の嫁探しが熾烈を極める競争となってしまった未来インドの物語。現実でも男児が生まれることが有難がれるインドの世相を皮肉ったコミカルなお話だ。

「小さき女神」は"女神の転生者"として選ばれ崇められていた少女がその後ウィリアム・ギブソンの「運び屋ジョニー」の如き非合法データ・クーリエとして生きる道を選ぶという物語。『サイバラバード・デイズ』はここから人間の知能を凌駕する超AIの存在と、それを取り締まり抹殺しようとする人間社会との対立が描かれ始める。続く「ジンの花嫁」では人格を備えた超AIと人間の女性との結婚が描かれるが、これなどもギブソンの『あいどる』を思わせる。最近のSFによく見られる"AIの人権"を巡る物語でもあり、そしてAI対人類の政治謀略小説でもある。最後の中篇「ヴィシュヌと猫のサーカス」は『サイバラバード・デイズ』世界の集大成とも言える作品。遺伝子操作によって長命と頑健な肉体、完璧な知性を持って生まれる世代"ブラーミン"は、同時に通常者の半分の成長速度だった。このブラーミンの青年が物語る「完璧ではあるが周囲と異なることで生まれる悲劇」が中心となって展開する物語は、次第に人格のデータ化によるポストヒューマンの出現、超AIの地球規模の反乱、さらには超高密度と化したポストヒューマン・超AIとの技術的特異点/シンギュラリティを迎える壮大な終焉へとなだれ込んでゆく。グレッグ・イーガンチャールズ・ストロスを髣髴させるサイバー・ストーリーであるが、これをイメージとして描写したものが、"シヴァが光り輝くリンガ(柱)の姿として現れたジョティルリンガ"である、という部分に、『サイバラバード・デイズ』世界の面白さが凝縮されていると思う。