悪魔が現れたモスクワの町はそりゃもう大騒ぎ〜『巨匠とマルガリータ』

巨匠とマルガリータ / ミハイル・ブルガーコフ

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

モスクワに出現した悪魔の一味が引き起こす不可解な事件の数々。20世紀最大のロシア語作家が描いた究極の奇想小説。焼けつくほどの異常な太陽に照らされた春のモスクワに、悪魔ヴォランドの一味が降臨し、作家協会議長ベルリオーズは彼の予告通りに首を切断される。やがて、町のアパートに棲みついた悪魔の面々は、不可思議な力を発揮してモスクワ中を恐怖に陥れていく。黒魔術のショー、しゃべる猫、偽のルーブル紙幣、裸の魔女、悪魔の大舞踏会。4日間の混乱ののち、多くの痕跡は炎に呑みこまれ、そして灰の中から〈巨匠〉の物語が奇跡のように蘇る……。SF、ミステリ、コミック、演劇、さまざまなジャンルの魅力が混淆するシュールでリアルな大長編。ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」にインスピレーションを与え、20世紀最高のロシア語文学と評される究極の奇想小説。

ミハイル・ブルガーコフの奇想小説『巨匠とマルガリータ』はモスクワの町に悪魔が現れて人々を翻弄し、てんやわんやの大騒ぎが繰り広げられる、という物語だ。しかしその悪魔は別に人間に悪さをしたいから現れた訳はなく、ある目的があってモスクワに出現したのだけれども、その段取りの中で人間たちが悪魔の差し出す餌にまんまと引っ掛かったり、またはご機嫌を損ねたりして、最終的にみんなとんでもない目に遭ってしまう、という訳なのである。
しかしそんなブラックなスラップスティック・ドラマとは別に、時間を遥か遡り、キリストの処刑とそれを決定したピラト提督の苦悩が描かれるパートがこの小説には挿入される。そしてこのパートが、現代の悪魔篇のコミカルなドタバタと対比を成すかのように、静謐さと懊悩とが交差する、非常に文学的かつ思弁に満ちた文章で、美しい。このキリスト受難とピラト提督のパートは、実は表題にある"巨匠"なる不世出の作家の作であることが後から分かってくるのだが、この対照的な物語がなぜ一つの小説の中に混在するのかを読み解いてゆくのが、この小説を理解する鍵となる。
かたや、人々の欲望を煽りアナーキーでカオティックな騒動を巻き起こす悪魔の何者にも邪魔立てされない全能ともいえる自由奔放さと、かたや、真理を追究したばかりに磔刑に処されるキリストと、彼を処刑したピラト提督の、霊と化した後もなお世紀を超えて嘆かれる罪悪感。この作品が書かれた当時ロシアはスターリン政権下であり、創作物は厳しく検閲され、作者が自らの想像力をほしいままに筆にすることの許されなかった暗黒時代であった。そういったことを考えると、悪魔というのはまさに人間の自由奔放かつデモーニッシュな想像力のことであり、そしてキリスト処刑とピラト提督の贖罪とはその自由さを絶たれた作家にとっての鎮魂を謳ったものとも言えるのではないか。
そして全てのドタバタが終焉し巨匠とマルガリータの魂が贖われるラストこそはまさにその救済を告げるものなのだろう。しかしそういったメタファーの在り方を詮索せず、奇想に満ちたドタバタを楽しむだけでも、この小説は十分に驚きに満ちた作品として評価できるだろう。

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ

巨匠とマルガリータ

巨匠とマルガリータ [DVD]

巨匠とマルガリータ [DVD]