収容所を生き延びた者たちの悲痛なる戦後〜『宮廷の道化師たち』

■宮廷の道化師たち / アヴィグドル・ダガン

宮廷の道化師たち

宮廷の道化師たち

「世界にただこのことを忘れさせないために、生き残りたいと願った…」強制収容所の最高司令官の“館”の道化師として生きのびた4人の男達の運命。淡々と、シンプルに、しかしながら深く、衝撃的な恐ろしい歴史的事実が暴かれてゆく。「人間は皆この地上での神の宮廷道化師にすぎないのか?」復讐のための長い彷徨は、この問に「否!」と確信する宇宙的な美しい答に辿り着く。人間性への信頼を回復する哲学的歴史ドラマ。

”宮廷道化師”とは言ってもこの物語はヨーロッパ中世を描いたものではない。第2次世界大戦中、ナチス強制収容所に送られたユダヤ系の男4人がそれぞれが持つ芸の腕を買われ、ナチス司令官たちのパーティーを賑わせる為にその芸を披露し生き延びていたありさまを、自嘲を込めて宮廷道化師と自ら名乗っていた、そういった内容によるものなのである。
その4人の”道化師”たちとは語り部でもある予言を得意とする傴僂の男、小人の軽業師、のっぽのジャグラー、そして占星術師。彼らは暴力と虐殺の渦巻く収容所の外で、内心の屈辱感をおくびに出すこと無くナチス司令官たちに愛想笑いと滑稽な芸を見せていたのだ。収容所では沢山の同胞たちが死の暗い穴に落とされていたことを考えると、彼らにとって屈辱など何ほどのものでもなかった。彼らにとって目的はただひとつ、【生き残ること】。
こうして小説『宮廷の道化師たち』は物語られてゆくが、"宮廷道化師"たちを狂言回しとするナチスのサロンでの退廃的な一部始終が描かれる小説かと思って読んでいると、前半3分の1ぐらいで衝撃的な事件と共に終戦を迎え、開放された4人の"道化師"たちは離散したままそれぞれの【戦後】を生きる。しかしやっと平和が訪れた筈の彼らを待っていたのは愛するものたちの累々たる屍の山。戦争が終わってなお残された苦痛と悲嘆。そして"道化師"たちの一人は人生の全てを捨て、復讐の為に世界のどこかにいる筈のナチス司令官を追う。即ちこの物語はホロコーストを経たあとも存在し続ける、ユダヤ人たちの【終わり無き戦後】を描いたものなのだ。
彼らは偶然なのか必然なのかいつしかイスラエルで再び合間見えるが、そのイスラエルもまた【終わりなき戦後】の象徴とも言える国家であり、中東諸国との軋轢は未だ解決の兆しを見せず、物語でも爆弾テロの惨禍が描かれもする。と同時に、イスラエルは彼らユダヤ人の寄る辺とするユダヤ教の中心地であり、そこで主人公らは「何故世界にはこのような悲惨が存在し続けるのか?」を神に問い続け、そして復讐者は「復讐は神の教えに反するのか」を自問し続ける。
神は存在するのか。そして存在するのならどうしてこうまでも無慈悲なのか。それは実はあの忌まわしい宮廷の中でひたすら【生き残ること】のみを願い続けた彼らが戦後を経て【何故生きるか?どう生きるか?】を模索しようとした足取りでもあるのだ。
【生き残ること】に理由は無い。なぜならそれこそが理由だから。【何故生きるか?どう生きるか?】に答えは無い。なぜならそれを追い求めることこそが人生だから。神は存在するのかどうか、それは分からない。ただ、ひとつだけ分かるのは、どんなに悲惨な夜を迎えようと、陽の昇る朝はそれでもどこまでも美しいということだ。であれば、この世界の神性こそが、自らを生かすものなのではないか。様々な地獄を経験しながら、かつての"道化師"たちは、生きることの理由を噛み締める。
こういった文学的なテーマと同時に、復讐者と化した”道化師”の一人が元ナチス司令官を追いつめてゆくパートは、それだけでもサスペンスフルだ。そして、そのリアルな筆致は、実際にもこうしてナチス戦犯を追いつめていったユダヤ人がいたのだろう、と思わせてしまうほどだった。