岐阜・奈良旅行記 / その2・竹田城跡は日本のマチュピチュだった!篇

■日本のマチュピチュ竹田城

朝8時頃旅館・有斐軒をチェックアウトし、旅館の方に車で竹田城跡のある山の中腹まで送ってもらいます。こういうサービスをしてくれる旅館なので、もし行かれる方がいらしたら是非この旅館を利用してみてください。今回の旅行の第1目的である竹田城跡については以下のような紹介文があるのでコピペしておきますね。

竹田駅の西、標高353mの古城山山頂にある。1443(嘉吉3)年、山名宗全が13年の年月をかけて築いたと伝えられる竹田城はその後天正〜慶長の初期(1600頃)に今のように豪壮な石垣積みの城郭となりました。わが国屈指の山城跡ともいわれる城跡には現在でも東西約100m、南北約400mの石垣が残り、往時の威風を今に伝えている。
山名宗全(=持豊)(1404-1473)室町後期の武将。京都を舞台に10余年にわたって戦われた応仁の乱の西軍の中心人物。決着をみないまま陣中で没した。和歌・絵画を嗜み、禅を修めた。
竹田城跡/じゃらん観光ガイド

なにしろ人里離れた山の頂上に、古代の遺跡を思わせるような壮大な城の石垣跡が残っているんです。とりあえず写真で見てもらったほうが早いでしょう。






GPSの航空写真で見るとこういう感じです。また、平面図で見るとこんな形をしています。
 
GPS表示のある場所から下界を写真に撮るとこんな感じ。

ネットで探してきた雲海に浮かぶ竹田城跡の写真。

いやーなにしろ圧倒されました。500年以上前にここに大きなお城があり、山の頂上から下界を見下ろしていたんですね。そして山裾からは山頂にそびえるお城が見えたのでしょう。なんだかそういうことを想像するとタイムスリップしそうですね。山裾の駅にこの竹田城の再現模型があったので載せておきます。

竹田城跡を満喫したオレと相方さんですが、ここから降りるのがまた大変で、急勾配の山道をえっちらおっちら、下りだというのに相当の体力を使ってしまい、下りた頃にはすっかりへばっておりました…。
 

竹田駅へ、そして奈良へ

竹田城跡のある山頂からやっと下界まで下りて、少し竹田駅前を散策。歴史のある城下町なのですが、少しも観光地化されておらず、にもかかわらず切妻造りで鯱を乗せた瓦屋根の立派な家が多くて驚きました。神社やお寺さんも多かったですね。
  
さてこの竹田駅前でお昼ごはん。お好み焼き屋に入りましたが、実はお好み焼きってあんまり好きじゃなかったんですよ。ところがこれが美味かった。西日本で食べるお好み焼きって美味しいんですね!
 
時間も来たので竹田を後にして今夜の宿を取ってある奈良・新大宮へ。明日は奈良の山奥にある秘仏を見ることになっているんです。しかしこの日、山登りの疲労のせいか風邪っぽくなってしまい、明日の散策が不安になってきました。そういう時は焼肉!とばかりに、奈良まで行って焼肉食ってたオレでありました!

(続く)