プランク・ダイヴ / グレッグ・イーガン

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

ちょっと前になるがイーガンの最新日本編集版短編集『プランク・ダイヴ』を読んだ。イーガン作品はこれまで長編全作と短編集『ひとりっ子』『TAP』を読んでいたが、そういえば短編集『しあわせの理由』と『祈りの海』をまだ読んでいないことを思い出し、ついでだからとイーガン作品コンプリートを目指すことにし、この間見事に(?)読了するところとなった。というわけで『プランク・ダイヴ』も含めたこれら2作のざっくりした感想を3回に分けて書いてみようかと思う。今回は『プランク・ダイヴ』。
イーガンと言えば「理系の皮をかぶった文系SF作家」というイメージがあった。それはハードなSFテーマをを駆使しながら、そこで語られていることは「人間とは何か」「“自分”とは何か」ということだったからだ。しかしこの最新日本編集版短編集『プランク・ダイヴ』はそんなイーガンのイメージとはちょっと違い、恐ろしくハードなSF短編が並んでいる。実はモノによっては、理数系の文章が羅列されているばかりに何を言っているのかさっぱりわからない作品まであった…まあこれは自分の理科系のセンスの無さのせいともいえるのだが。
作品を紹介。
「クリスタルの夜」は電脳的な「フェッセンデン宇宙」を創る話。AIの人権というテーマは以前読んだSF短編集『フィーバー・ドリーム』でも他の作家が取り上げており、ちょっと流行ってるのかな?と思った。
「エキストラ」は臓器移植の献体として自らのクローンを飼育する男のグロテスクな顛末。医療+グロというのはイーガンの初期作品に多かった。
「暗黒整数」は短編集『ひとりっ子』収録の「ルミナス」の続編で、数学SF。数学解法の異なる宇宙とのコンピュータ計算による戦争、というアイディアが凄いが、なにしろ数学専門用語の飛び交う内容に苦労させられた…。
「グローリー」はなにしろ冒頭のナノマシン搭載極小亜光速ロケットによる恒星間飛行というアイディアにしびれた。ロケットの到着した惑星ではナノマシンが人工ボディを作成し、そこに恒星間を超えて中性子ビームによる人格データを射出、そのデータをダウンロードしたボディが一個の人格としてその惑星の知的種族と交渉を行うというもので、要するに相対性理論に抵触することなく遠い恒星間の航行を可能にしてしまっているのだ。物語のほうは訪れた惑星で失われた数学的遺跡を発掘するというものだが、それ自体が「必ずあるはずの究極の科学的真理」へのSF作家イーガンの強烈な熱望を感じる。
「ワンの絨毯」は長編『ディアスポラ』にアイディアを流用さした元の作品。宇宙探査船がある惑星の海にタンパク質で出来た巨大構造体を発見し、これは知的生物なのか?と調査するというイーガン版「惑星ソラリス」。で、この構造体が実は惑星規模の生体コンピュータであることが分かり、そして…というお話。これは冒頭の短編「クリスタルの夜」のようなAIは生命か?という命題とも結びつく。
プランク・ダイヴ」はデータ化された人格がブラックホールを探索するというもの。この短編も相当ハードで中盤ちんぷんかんぷんだった…。質量が限りなく小さければブラックホールの重力圏の影響も少ない…という理解でいいのか?物語のテーマは「グローリー」同様、「必ずあるはずの究極の科学的真理」ということだろうか。科学的真理は、探究の果てに到達することはあるのだろうけれども、現在の科学技術では非常に困難であり、しかしそれを、せめてフィクションの中で体験したい、というイーガンの渇望が伝わる。
「伝播」は「グローリー」同様、ナノマシン星間飛行を使用し、外惑星探査プロジェクトを遂行する人類の物語。しかしナノマシンの到着した惑星には後発のさらにテクノロジー進歩した探査船が既に調査を終えていて…という物語展開だが、それでもなお「必ずあるはずの究極の科学的真理」をあきらめない強烈な探究心そのものがこの物語のテーマとなっている。