コンテンポラリー・ダンスの世界〜映画『Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

■Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち (監督:ヴィム・ヴェンダース 2011年ドイツ・フランス・イギリス映画)


自分はコンテンポラリー・ダンスといったジャンルには全く知識の無い門外漢であり、このドキュメンタリーで描かれているピナ・バウシュというコリオグラファー(振付師)の方の名前もまるで知りませんでした。既に故人だったのですね。それなのになぜこの映画を観ようと思ったのかというと、自分の知らない表現の世界にいったいどんな驚きがあるのか興味を抱き、それに触れてみたかったからなんですね。監督のヴィム・ヴェンダースは生前からピナと親交があり、このドキュメンタリーは在命中から企画されてたのだそうです。映画は3D上映でした。
以下ははてなキーワードから引用したピナ・バウシュの経歴です。

Pina Bausch (1940-2009):芸術家 ダンサー/コリオグラファー(振付師)
1940年ドイツのゾーリンゲンに生まれ、14歳から、ヴッパタールに近いエッセンのフォルクヴァンク芸術大学ドイツ表現主義舞踊の巨匠クルト・ヨースに師事し、ダンサーとして頭角を現した。
同校を首席で卒業後、18歳のとき国費留学生としてニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院 舞踊科に入学。そこで心理パレエの振付家として有名なアントニー・チューダーに出会い、彼の勧めでメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・パレエ団に参加し、またジュリアード音楽院で同じマイムのクラスをとつたポール・テイラーらと活動して、2年間アメリカの現代舞踊の隆盛の時期を過ごした。
1962年に帰国後、フォルクヴァンク舞踊団でプリマ・パレリーナとして活躍。のちフォルクヴァンク芸術大学の教授となり、69年フォルクヴァンク舞踊団のために振付けた作品「時の風 の中で」がケルンのコンクールで1位を獲得したのを契機に、ヴッパタール市立劇場から作品の 依頼を受け、クルト・ヨースの後継者となって独自の舞踊を確立することに邁進。
1973年にピナ・バウシュはヴッパタール市立劇場パレエ団の芸術監督・振付家に就任し、 その名称を「タンツテアター・ヴッパタール」と改名。当時は一地方都市の舞踊団にすぎな かったが、彼女の個性的な創作活勤によって世界の舞踊界で注目されるようになった。ピナ・バウシュは現在に至るまでの4半世紀の間に、今世紀初頭に始まつたノイエ・タンツの様式をさら に発展させ、演劇的手法で表現するオリジナルな舞踊芸術を確立した。
2009年6月30日、ガンにて死去。

どんな表現ジャンルでもそれは過去から連綿と続いてきたものの批評と練磨から成り立っており、このピナ・バウシュのダンスにしてもそれは舞踏という芸術ジャンルの長い歴史の上に成り立っているものなのでしょう。ですから映画のスクリーンの上に見られる数々の舞踏表現のその表現されたものを理解するには、これまで存在した舞踏芸術のありかたに立脚した上で理解されるべきなのでしょうが、まあそういうのを抜きにして単なる映画好きが観た感覚としては、自分の抱いている舞踏のイメージとは結構離れたユニークなことをしているんだなあ、ということでしょうかね。
それはこの映画に登場するダンサーが喋ったり笑ったり叫んだり、というのにもあるのですが、踊り、では無く単なる動き、であったり、その動きが、優雅さとはかけ離れた痙攣的なものであったり、という部分でしょうか。しかしコンテンポラリー・ダンスというぐらいですからその表現される動き、踊りは抽象的ではあるのですが、しかしよく観ていると「これはこういうことを言っているのではないか」というのは伝わってくるんですよ。ピナ・バウシュは「言葉にならないものを踊りで表現しなさい」と言っていたそうですが、そこに込められている感情、情景は初めてこのジャンルに触れるような自分にも伝わってくるんですよ。だから先の痙攣的な動き、というのにはある種の苦痛や苦悩の様が込められているように感じたりもするんです。
面白かったのは「"月"を踊りで表現しなさい」というピナ・バウシュの言葉に従ってダンサーが"月"を演じて見せるところですね。その"月"の動きは、そのダンサーの抱く"月"のイメージであると同時に、それを見る者の、"月"のイメージに合致するべく表現された"月"でもあるんですね。全てのダンサーは、きっと超絶的なダンスの技巧を習得したダンサーであろうと思いますが、それと同時に、想像力とそれを具現化する表現力を兼ね備えているということなのでしょうね。だからダンスを見ていて、鍛錬された肉体から生み出される技巧そのものよりも、その表現のされ方の独自性が面白く思えました。
そしてそのダンスの多くは、「わたしとあなた」のその関係性を表現されているように感じました。わたしとあなたの愛情とその喜び、畏れ、わたしとあなたの断絶とその孤独、空虚。それぞれのダンスが男女お互いの役割に則って演じられており、それは見ていてとても分かりやすいんですね。しかしそこで演じられる動きはあくまで抽象化されたものであり、具体化され類型化された感情をそのまま演じているわけではありません。むしろ、具体化され類型化された感情表現のあり方から零れ落ちてしまう"何か"の思いを、ピナ・バウシュは表現しようとしているのではないかと思いました。だからこそ「言葉にならないものを表現した踊り」なのでしょう。また、映画最後に演じられている、舞台に巨大な岩石を置き、そしてそこに雨を降らせながらという美術の中での踊りは非常にパワフルであり、驚きと斬新さに溢れていました。

■Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち 予告編