ポランスキーの描く異邦人の不安と孤独〜映画『ゴーストライター』

ゴーストライター (監督:ロマン・ポランスキー 2010年フランス・ドイツ・イギリス映画)


ロマン・ポランスキーは思い入れのある映画監督というわけではないが、奇妙に気になる映画監督ではある。子供の頃に観たポランスキーの『吸血鬼』はトラウマになるほどの恐怖心を植えつけてくれたが、その後に観た『ローズマリーの赤ちゃん』も、オレが歴代に観たホラー映画のベスト3に入れてしまいたいぐらいに怖い怖い映画だった。他に観た作品はそれほど多くは無いのだが、彼の作品は、どれも観終わった後に何か妙にざわざわとした不安、心細さが心の中に残るものが多いのだ。ポランスキーの半生には父母が遭ったナチスホロコースト、フランスでのユダヤ狩り、アメリカでの妻・シャロン・テートの殺害事件、さらに少女への淫行容疑によるアメリカ逃亡など、暗い影を落とすものが多いが、それらポランスキーが人生で体験した様々な事柄が、彼の映画に反映されているような気がしてならないのだ。
ポランスキーの最新作『ゴーストライター』は、元英国首相の自叙伝執筆を依頼されたゴーストライターが、得体の知れない陰謀に巻き込まれる、というものだ。主人公のゴーストライターユアン・マクレガー)は変死した前任者に成り代わり、元英国首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自叙伝をリライトする為にイギリスからラングが滞在するアメリカの孤島に訪れる。物々しい警備の邸宅、持ち出し厳禁のオリジナル原稿、気分屋で激しやすいラング元首相など、難問を抱えながら原稿のリライトを進めるゴーストライターだったが、同時期、ラングがその首相時代、イスラム過激派の拷問に加担していたという容疑で、国際法廷への出廷を命じられていたことが事態を一層困難にしていた。そしてリライトを進めながら、ゴーストライターは、前任者の死が謀殺であったことに気付き始める。彼は何故殺されたのか。そして誰が殺したのか。それは、自分が今書いている自叙伝に原因があるのか。そしてある日、ゴーストライターは元首相の不可思議な経歴と謎の電話番号を突き止める。
映画は、荒涼とした孤島を舞台に、暗い海、暗い空、降りしきる雨、ラング元首相の冷え冷えとした滞在地、閑散としたホテルなど、どこまでも陰鬱なロケーションの中で物語られる。そしてゴーストライターの前に現れる様々な登場人物たちは、誰もが腹に一物を抱えているように見え、誰がゴーストライターの味方で敵なのか、誰が真実を言い、誰が嘘を言っているのか、そもそも真実はなんなのか、すべてが闇の中で手探りをしているようにクライマックスへと向かってゆくのだ。いったいこの物語がどこへ向かおうとしているのか、何を描こうとしているのか、観る者は主人公と共に得体の知れないもどかしさと不安を抱えたまま右往左往する。そして真のクライマックスを迎えたとき、それまでもやもやと影のように形を成さなかったものの正体が白日の元へ姿を現し、衝撃の事実が明らかになり、暗い余韻と共に映画は幕を閉じる。
基本的にはポリティカル・スリラーと呼ぶべきジャンルのものなのだろうが、この物語は決して現実の政治的な団体やシステムを批判し糾弾するものだというものではない。主人公は政治的主張も無く、正義漢だというわけでもない、ごく普通のありふれた男として登場し、何かを解決したり打破したりと言うよりも、状況の中でただただ翻弄され逃げ回りながら、結果として真実へと突き当たってしまう。しかし異邦の地で孤立無援になり右往左往するのは実は主人公だけではない。イギリスからアメリカにやって来た主人公と同じく、イギリスからアメリカにやってきて、国際法廷の拘束を恐れイギリスに帰ることの出来なくなってしまった元首相の存在がそれだ。異郷での居所の無さ、帰ることが出来ないという寄る辺無さ、そして見知らぬ土地で遭遇する陰鬱な事件。これはポランスキーの人生の一端とも通じるものを感じないか。こうして監督ポランスキーは、またしても異邦人の孤独と不安を画面に焼き付けるのだ。

ゴーストライター 予告編


ゴーストライター (講談社文庫)

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