メタルのヘッドに神宿る!?〜映画『メタルヘッド』

メタルヘッド (監督:スペンサー・サッサー 2010年アメリカ映画)


YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!!!
メタルが!メタルの神が!メタルの神が俺に言う!自由に生きろと俺に言う!
俺は自由!俺はフリーダム!俺はアナーキー
欲しいものは手に入れる!ヤりたい女はすぐにヤる!ぶちのめしたいヤツはすぐぶちのめす!
糞な社会!糞な世の中!糞なしがらみ!糞なお約束!糞糞糞だらけのこの世界!
みんなまとめてFUCK YOU!!
ぶち壊せ!ぶち壊すんだ!糞な世界をぶち壊すんだ!
お前がそれを望むなら!お前はいつでもぶち壊せる!
糞な社会を!糞な世界を!
俺の名は
HESHER!
お前がそれを望むなら!俺の名を呼ぶがいい!
…という謎のメタル野郎、HESHERさんが現れ、しょぼくれまくった家族と女の子に「生きるって言うのはこういうことさ(キリッ」というのを教える映画、それが『メタルヘッド』である(たぶん)。

主人公は13歳の少年TJ(デヴィン・ブロシュー)。彼は自動車事故で母を失い、父親であるポール(レイン・ウィルソン)と共に、暗く沈んだ遣り切れない毎日を送っていた。そしてスーパーのレジ係の女ニコール(ナタリー・ポートマン)。不器用な彼女もまた、生き難い人生に溜息を漏らしながら生活していた。そんな彼らの前に突如現れた男、HESHERさん(年齢不詳・ロン毛・いつも上半身裸)。彼は耳を聾するメタルの爆音に身を任せながら、ひたすら常識外れの行動を繰り返し、TJとその家族、そしてニコールを唖然とさせる。しかし、梅雨時のナメクジみたいにジトジトウジウジしまくっていた彼らは、メタル野郎HESHERさんの破天荒な生き方に触れ、次第に生きることへのバイタリティを取り戻してゆく。

…というのが粗筋なんですけどね。ぶっちゃけ感想を言っちゃうと「う〜ん惜しい!やりたいことは分かるけどかな〜り惜しい!」といった作品だったんですよねえ。粗筋だけ読んだらなんだか面白いような気がしません?人生はかなみ過ぎてすっかり陰気こじらせた辛気クセエ連中と、地味で馬鹿でダメまくった負け犬女が、頭の回線が2、3本ぶち切れてる犯罪者予備軍みたいな電波男と出会い、JACKASSとどっこいどっこいなそいつの常軌を逸した行動を見て、「人生やりたいことやったもんの勝ち!」という間違ってはいないけど規範とするものがちょっと違うんじゃないのか?と思わせる認識に達するという、ある意味トチ狂った人生再生物語、そんな風に最初思ってたんですけどね。それが映画を観たら、な〜んか違うんだよなあ。

結局この映画の敗因は、「笑えないこと」だと思うんですよ。いや確かにメタル野郎HESHERさんの行動はおかしい。イカレてる。でもイカレているだけで、シャレになってないんですよ。やってることが単にマジキチなの。オレ、こういうテーマにするんなら、メタル野郎HESHERさんは、マジぶっこいてるように見えてなんか勘違いしてる、道化であるべきだと思うの。道化だから頓珍漢なんだけど、だからこそ普通の人間には気づかないような、ちょっと引いた部分から見つけることのできる生きることの真理、みたいのを、他人に見出させるような役であるべきだと思うの。だって半裸のメタル野郎って段階で、それもう既にギャグでしょ。でもギャグじゃなくて、大真面目にそれ演じさせちゃったから、どうにも中途半端に感じちゃったの。そしてHESHERさんって、いったい何者なのか本当はよくわかんない人なんだけど、その正体不明っていうのはよしとして、このHESHERさんが、何のメタファーとなるものなのか、きちんと描いてないの。このままの描かれ方だと単に意味不明の人になっちゃうの。謎だからそれでいい、っていうんじゃなくて、製作者側自体が、彼の存在がなんだったのか、きちんと把握しないで映画作ってるような、あやふやな雰囲気があるのよ。

それとシナリオももっときちんと練るべき要素が沢山あると思う。まず最初に母の死っていうのがあるでしょう。そしてクライマックスにも、これネタバレになっちゃうけど、もう一つの死が描かれるの。つまり冒頭と終盤という物語の節目に2つ死を持ってきちゃってるの。死ってねえ、生臭いから、それで盛り上げるのは簡単なんですよ。死をきっかけに物語をはじめ、死をきっかけにオチを作る、それってちょっと安易なんじゃないかなあ。それと、主人公の少年が、母がそこで死んだ大破した自動車にこだわり続けるのがよく分からなかった。自らの最大のストレスの原因となっているものにこだわり続ける、というのは児童心理学では実はあることだというのですが、なんかもっと他に無かったのかなあ。なんだか頭で考えただけみたいな設定で説得力無いんだよなあ。それとTJとレジの女ニコールとは、生きることに積極的になれない者同士ってことなんだけど、要するにキャラがダブっちゃってるんだよね。ニコールのような女性を登場させることはよしとしても、もう少しニコールの性格設定を変えるべきだったんじゃないだろうか。

という訳で、やりたいことは十分に伝わってくるけどいろんな部分で惜しい映画でしたね。だからこの内容でもう一回リメイクしてくんないかなあ。ただし主演はジャック・ブラックそしてタイトルは『テネイシャスD 運命のメタルヘッドをさがせ!』もちろんシモネタ満載の大馬鹿ギャグ映画で!