あ〜いのぉ〜すかぁ〜いらぃん〜〜♪〜映画『スカイライン−征服−』

スカイライン−征服− (監督:グレッグ・ストラウス、コリン・ストラウス 2010年アメリカ映画)


例えばホラー映画みたいなジャンル映画だと、物語性よりもシチュエーションとビジュアルがまず優先して考えられ製作されるのだろう。細かな物語はそのシチュエーションとビジュアルが固まってから付け加えられるのだと思う。ゾンビなりクリーチャーなりが人を屠るためのシチュエーションがあり、それらのモンスターの目を惹く恐ろしげなビジュアルがホラー映画を作るときに中心となるのだろう。数多あるB級と呼ばれるホラーの大半が、屠殺それのみをとことん描いてはいても、物語らしい物語は存在しない、というのはよくあることだ。それはホラー映画の目的が、なによりも観るものにとことんショックを与えることにあるからだ。

SF映画もシチュエーションとビジュアルが重要だが、これを的確に表現するのはホラー映画よりも難しい。ホラーはショッカーに徹すればとりあえずクリアする部分を、SFはセンスでクリアしなければならず、このセンスというのが案外曲者なのだ。特にSF映画のビジュアルは、製作に金が掛かるものが多い上に、デザイナーのセンスが突出していないと途端に陳腐化してしまう。そしてそのシチュエーションも、マニアックすぎるとちんぷんかんぷんのものになってしまう。マニアが多くを占めるSF小説と違って、SF映画はどこかで万人受けするアクション要素、ないしはサスペンス要素を取り入れなければ成功しない。勿論優れた物語性、そして思弁性を持つSF映画はあることはあるが、そういった作品はどちらかというと希有であり、そこそこヒットしたSF映画の多くは「分かりやすいシチュエーション」と「センスのあるビジュアル」が中心となっている。

そこでこの『スカイライン−征服−』だ。「宇宙人が地球を侵略する」というこの映画のシチュエーション自体はSF作品にはよくあるものだ。しかもこの映画の登場人物たちにはまるで魅力が無い。この登場人物たちが生きようが死のうがまるで興味を引かれない。さらに驚いたのは、「宇宙人の地球侵略」であるはずのこの映画の舞台が、実はたった一つのマンションでしかドラマ展開しないということだ。そもそも、登場人物たちは闇雲に右往左往しているだけで、この映画にはドラマが存在しない。つまりこの映画は最初から物語性を放棄している。そして"SF作品にはよくあるシチュエーション"で一点突破しようとしている。しかし新鮮味の無いシチュエーションとはいえ、この「侵略、殺戮」というテーマは普遍的な恐怖を生み出し、逆につべこべ説明のいらない分かりやすさを生んでいる。

そしてそのビジュアルだ。様々なSF映画のいいとこどりをしたような既視感はあるが、観せ方が上手く、CGI処理がなにしろ美しいのだ。分かりやすさの為に個性的であることさえ放棄していると言える。つまりこの『スカイライン−征服−』は、ややこしい物語性を全て捨て、侵略され虐殺されるという分かりやすいシチュエーションと、美しくそして驚嘆させられるCGIで構成されたSFビジュアルのみで描かれた映画なのだ。観るものはおぞましいエイリアン宇宙船の造形とただただひねり殺され宇宙船に拉致される人間の姿を堪能していればそれでいい。それはあたかも物語性を捨てショッカーに徹したホラー映画のようだ。つまり【扇情的】であることだけが目的なのだ。そしてそれは成功していると思う。

ちなみにかな〜りジジイのおれにとって、スカイラインと言えば日産のスカイラインスカイラインといえばケンとメリー、そしてそのCMで使われていたCMソング「愛のスカイライン」である。子供の頃に散々TVで聞かされたCMソングが頭に刷り込まれていたオレは、映画『スカイライン』の製作を聞いたとき、真っ先に頭に浮かんだのは車のCMソングのサビ、「あ〜いのぉ〜すかぁ〜いらぃん〜〜♪」なのであった。映画に愛があったか無かったかはわからんが、このCMソングが映画のラストで流れたら案外はまっていたかもしれないね!映画会社はTENGAなんぞと協賛しないで日産と協賛すりゃあよかったのに!

スカイライン−征服− 予告編

■ケンメリ 「愛のスカイライン」 (BUZZ) Full Version Vol.2