世界の小さな終末〜スティーヴン・キング畢生のホラー大作 『アンダー・ザ・ドーム』

■そこは人口2000人程の田舎町

メイン州の小さな町チェスターズミル。人口およそ二〇〇〇人。その町は突如、透明の障壁に囲まれた。上方は高空に達し、下方は地下深くまで及ぶ。“ドーム”と呼ばれるようになった障壁は、わずかな空気と水と電波を通すのみ。パニックのなかで、命を落とす者が連続する。そこで動き出すのは町を牛耳る男ビッグ・ジム・レニー。警察力を掌握したビッグ・ジムは混乱に乗じて恐怖政治を開始した。“ドーム”のなかで一触即発の内圧が高まりはじめる―。アクセル踏みっぱなしの小説を書く―そう決意して、“恐怖の帝王”キングが、その才能と筆力のすべテを恐怖と緊迫のために叩き込み、全一四〇〇ページを一気に駆け抜ける。巨匠の新たなる代表作、誕生。 (Amazon 紹介文より)

一つ:そこは人口2000人程の田舎町である。
一つ:そこは突然現れた透明の壁によって覆われてしまった世界である。
一つ:その壁は【絶対に】破ることが出来ない。
一つ:そこからは誰も出られず、誰も入ることは出来ない。
一つ:外界との連絡はある程度可能である。
一つ:食料と燃料は限られている。
一つ:刻々と大気は汚染されている。
一つ:そこに住む人々はパニックで暴発寸前である。
一つ:そしてその町には、絶対的な権力を得ようと恐怖政治を敷く男がいた。
――これがスティーヴン・キングのホラー小説、『アンダー・ザ・ドーム』のアウトラインである。

■アクセル踏みっぱなしの小説

海の向こうから「キングがなにやらとんでもない新作を発表したらしい」という噂を聞いてから早数年。そのボリュームもクオリティもキング作品の中でダントツと言われる新作、『アンダー・ザ・ドーム』の翻訳版がやっと日本にもお目見えすることとなった。いや、やっとというか、思ったより早かった、と言うべきかも知れない。しかも分厚い分値段も張るだろうな、と思っていたが、出版されたソフトカバーの装丁はなかなかに扱いやすく、それによりコストダウンも図ったのか思ったより高くつかなかった。このへん、出版社の尽力の賜物だろうし、商売も勿論あるだろうが、「キング愛」を感じさせるものがあった。

さて『アンダー・ザ・ドーム』だ。既にあちこちで言われていることだが、この作品、滅法読みやすい。キングの言う「アクセル踏みっぱなしの小説」そのままに、物語は不安と恐怖をマシンガンのように次々と射出する。ダレる場の無いその展開はただ単に一本調子に進んでいるのではなく、細かな緩急が正弦波のようにアップダウンを繰り返し、物語全体に鉄壁のドライブ感を生み出しているのだ。もうひとつ言えば、テーマにややこしい要素が一切無いこともこの読みやすさに繋がっているだろう。読みやすく、分かりやすいのだ。これはベストセラー・メーカーであるキングの、エンターティメント作品を生み出すために長年培ってきた匠の技が成せるものに間違いない。さらに付け加えるなら、翻訳の白石朗氏の絶妙な訳文が、この読みやすさを数段加速させていることも忘れてはならない。

■愚か者たちの船

物語は極限状況に置かれた人々と、その不安をあおってパニックを生み出し、絶対的な権力を握ろうとするよこしまな男、そしてそれを阻止しようと絶望的な戦いを挑むグループの、それぞれが交差するドラマが描かれる。面白いのはこの物語においてはドームに閉じ込められた町を描くことを主軸としており、ドームの外の世界が殆ど描かれないという事だ。"人知を超えた不可解なドームの出現"というものに対するアメリカ社会、さらに世界の反応と言ったようなものはこの小説では描かれないのだ。僅かに外の世界の代表として、ドームとの連絡役であるアメリカ軍代表者が主要人物として登場するだけで、物語はドーム内の"地獄"を克明に描くことに終始する。

一つのコミュニティが完膚なきまでに崩壊する様を描くのは昔からキングの好むテーマの一つだ。『呪われた町』しかり『トミー・ノッカーズ』しかり『ニードフル・シングス』しかり。これらの作品とこの『アンダー・ザ・ドーム』との共通点は舞台がアメリカの片田舎にある小さな町であるという事だ。それはのどかで素朴で、アメリカの原風景を思わせる場所であると同時に、貧困や無知、旧弊な価値観、遅れた文化、開かれていない人間関係が存在する場所でもあるのだ。キングの物語は、これら片田舎に住む住民たちの、無自覚な蒙昧ぶりに揺さぶりを掛ける。この『アンダー・ザ・ドーム』もその例外ではない。たかだか田舎町のボス猿であることに血眼になってこだわる本編の悪漢、ビッグ・ジム・レニーはもとより、町の住民たちにも大なり小なり愚昧で野卑な人間たちが存在し、町は愚か者たちの船と化して悲劇に拍車を掛けるのだ。

■暴力、暴力、暴力

そして閉ざされた町に暴力の嵐が吹き荒れ始める。暴力、暴力、暴力の嵐だ。町を覆う透明な巨大ドームという超自然的な設定はそこで行われる暴力とそれがもたらす惨たらしい死を描く為のお膳立てに過ぎない。頭のタガが外れた青年の殺人劇に始まり、陰謀によりパニックに到った人々の略奪行為、ビッグ・ジムによって組織されたならず者警察官たちの横暴、脅迫、レイプ、ビッグ・ジムに逆らうものへの弾圧、焼き討ち、逮捕監禁、拷問、リンチ、密殺、そしてテロリズム、銃撃戦、破壊、およそ【暴力】と名の付くあらゆる血生臭い行為が、つい数日前までのどかで平和だった筈のこの小さな町で行われるのだ。異様な事態に直面した時、人はどれだけ簡単にモラルを捨て、まともな思考を放棄し、下衆なものに成り下がるのか、その陰惨なショウケイスを見せられているかのようだ。

町の悪漢、ビッグ・ジム・レニーは悪辣な陰謀家だが、それに容易く鼓舞され理性を失い無法を無法と思わぬ住民たちのなんと多いことか。もちろんビッグ・ジムの行為を糾弾し、彼の悪事を暴こうと画策する主人公たちの集団も存在するのだが、この物語で起こる殆どの死と暴力は、町の住民たちの【愚劣さ】ゆえに起こされたものばかりなのだ。即ちこの小説において、暴力は【愚劣さ】によってもたらされ、その【愚劣さ】により、町は恐怖の支配する世界へと化し、そして究極の破滅へと雪崩のように転がり落ちてゆくのだ。死へと暴走するレミングの群れと化したチェスターズミルの住民たち、彼らの最期に待つものは何か。救いはあるのか。ドームとはなんだったのか。小説『アンダー・ザ・ドーム』はクライマックスに向けて火を噴き墜落する旅客機のように破壊をばら撒きながらひた走る。

アンダー・ザ・ドーム 上

アンダー・ザ・ドーム 上

アンダー・ザ・ドーム 下

アンダー・ザ・ドーム 下