合理と非合理の狭間〜映画『アレクサンドリア』

アレクサンドリア (監督:アレハンドロ・アメナーバル 2009年スペイン映画)

科学的精神への迫害

キリスト教による科学への迫害、というと自分などは地動説を唱えキリスト教会から異端審問を受けたガリレオ・ガリレイを思い浮かべる。裁判により地動説を放棄させられたガリレオがその後「それでも地球は回っている」と呟いたという話は有名だが*1、そのガリレオの異端審問が行われた17世紀よりも千年以上前、科学的であるがゆえにキリスト教会から異端者扱いされ、悲劇に見舞われた一人の女性がいた。彼女の名はヒュパテイア。この映画『アレクサンドリア』は紀元415年、エジプト・アレクサンドリアで起こったとされる"ヒュパテイアの虐殺"を描いた歴史ドラマである。

■ヒュパテイア

映画の舞台はこのアレクサンドリアに存在した【アレクサンドリア図書館】を中心に語られる。今も歴史に名を残すアレクサンドリア図書館は紀元前300年ごろに"世界中の文献を集めること"を目的として建設され、往時は50万とも70万とも言われる文献が存在したのだという。まさに世界の"知"の中心であったということができるだろう。アレクサンドリアには世界7不思議として謳われるアレクサンドリア灯台が存在したが、これも映画ではCGで再現され、物語内容とは関係は無いのだが妙に嬉しかった。
主人公、ヒュパティアは天文学者・哲学者として、このアレクサンドリア図書館において学生たちに講義を行っていた。ヒュパティアについては当時の文献にこのような記載が残されている。

アレクサンドリアに,哲学者テオンの娘で,彼女の時代の全ての哲学者たちを遥かに凌ぐほどの文学と科学における学識をなした,ヒュパティアという女性がいた.プラトンプロティノスの学統を受け継ぎ,彼女は,その多くが彼女の講義を受けるため遠くからやってくる聴衆に向けて哲学の諸原理を説明した.彼女が精神の教化の結果獲得した冷静さと物腰における気取りの無さのゆえに,彼女は往々にして政務官の臨席の際に公けの場に姿を現した.彼女は男たちの集まりに来ることを恥ずかしがったりはしなかったのだ.全ての男たちが彼女の非凡な品位と徳性ゆえに,彼女をさらに認めていたのである.
史料翻訳:ソクラテス=スコラスティコス著 『教会史』 第 7 巻 第 13-15 章 ―ヒュパティアの死に寄せて (大谷哲 訳)

彼女が進歩的な女性であったというよりも、当時のヘレニズム文化がもたらしたコスモポリタニズムは、女性が進歩的である事が何も不思議ではない時代を形成していたのだろう。紀元5世紀の世界でさえこのように女性の人権は尊重されていたようだが、それと同時に奴隷もきちんといたところがなんだか不思議である。

アレクサンドリア図書館の最期

しかし学問を謳歌するアレクサンドリア図書館は、キリスト教徒と古代神教徒との、信仰を巡る血塗られた抗争により終焉を迎える。ここで描かれるキリスト教徒は、これって大丈夫なのか?と思わせるほど徹底して野蛮で狂信的な暴徒として登場する。キリスト教徒は皆不潔な黒装束、顔つきも知性の欠けた野卑な山賊顔。まあ映像として"こいつらが敵役"と分かりやすいバイアスの掛けられ方だが、史実においても異教徒排斥の名の下にキリスト教徒による継続的な攻撃と破壊行為により、アレクサンドリア図書館は歴史から姿を消したのだという*2
映画では図書館の膨大な書籍がキリスト教徒たちによって徹底的に焚書され、その"知"の遺産が灰燼に帰す様が描かれる。宗教全てが諸悪とは言えないとしても、ある種の原理主義的行為が、世界的な知的財産を根絶やしにすることにより、この後一千年近く、"知"の暗黒時代を生み出してしまった、と考えると背筋の寒くなるものがある。その暗黒の一千年が無かったら、人類はどう進歩していたのだろうか、と想像すると暗澹たる気持ちにさせられるのだ。

■合理と非合理の狭間

物語は、信仰という名の"非合理"を受け入れることなく、自らの科学的精神を失うまいと学究に打ち込む主人公ヒュパティアが、それゆえに宗教的政治の波に翻弄されてゆく姿を描く。ヒュパティアの文献は殆ど残っておらず、その功績は永遠に知るすべもないが、逆にそれを想像で補ったこのドラマは、ヒュパティアという存在に当時の知識層のありようを象徴させ、それがどう非合理的な精神によって葬り去られていったかを描こうとしたのだろう。
非合理的な精神、それはここで描かれたキリスト教徒の暴虐や、宗教それ自体のみを揶揄しているのではない。例えば今日本で、あの震災に関わるあらゆる事象において、"恐怖"や"不安"が生み出す非合理的な言動や行為が、本来科学的な、合理的な対処を必要としている事柄を、圧倒し蹂躙し阻害しようとしている事例を見聞きした事はないか。非合理が合理性を凌駕する時、そこには"無法"と"無秩序"しか存在しない。だとするなら、我々は今まさに瓦解を目前にした古代アレクサンドリア図書館に立っているのと変わらないのではないだろうか。

■映画『アレクサンドリア』予告編

*1:「実際は、裁判が終わってくたくたになったガリレオが「あぁ、めまいがする。まるで、地球が回っているようだ」と言っただけ」という話もある http://kuroneko22.cool.ne.jp/knowledge3.htm

*2:アレクサンドリア図書館の消滅には諸説あり、紀元624年のイスラム教徒占領による破壊という説もある