様々な技法を駆使して描かれるグロテスクかつコミカルなアート・コミック〜『天空のビバンドム』

■天空のビバンドム / ニコラ・ド・クレシー

天空のビバンドム

天空のビバンドム

ピュアなアザラシのディエゴを操って、自分たちに都合の良い「物語」を作ろうと、市の権力者や悪魔、犬や鶏たちもが争うファンタジー・ストーリー。首だけになったロンバックス教授や乱暴者の悪魔が物語のナレーションを奪い合ったり、無数の人間の集合体で出来た市長が「愛のノーベル賞」をディエゴに獲らせようと企てる。はたまた、犬たちが語る摩訶不思議な人間の歴史まで飛び出して…。物語を手中に入れたい者たちの面白おかしいドタバタを、自由奔放なタッチで綴る漫画作品。全ての画材をつぎ込んだという驚異のカラーリングは、フランス漫画の最高峰に位置する記念碑的傑作。

ガラクタの散乱する荒れ果てた部屋の片隅に、こねた小麦粉のような生白い塊が乗っている。その塊は赤い帽子を被り、あまつさえ目鼻まであるではないか。そしてその塊は自己紹介する、「わたくしの頭は体から切り離されてしまいました」と…。続くシーン、どこまでも非現実感の漂う紅く灼けた色をした町の中を、風船のように膨らんだ巨大な白い体躯に燕尾服、掌の無い短い両手に松葉杖を挟み、体の下から一本の足が伸びているだけの畸形めいた生き物が、「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ」だの「ごぁぁぁぁぁぁぁぁ」だのと呻きながらどたばたと跳ね回っている。その光景を眺めながら辻々にある彫像が、「みじめだね」「まるで道化ね」と呟き掛ける…。フランス・コミック、『天空のビバンドム』はこんなあまりにも不気味で異様なシーンから始まる。
この白い生き物の名はアザラシのディエゴ。物語は、このディエゴを巡り、怪しげな権力集団"教育者"たち、老獪な町の"市長"、道化めいた地獄の魔王、服を着て2足歩行する理知的な犬たちの結社、謎めいた計画を持つ鳥集団…などなどが、架空の町ニューヨーク=シュル=ロワールを舞台に暗躍する、という摩訶不思議なものだ。それは、この世界の主権を賭けた戦いであり、その中でアザラシのディエゴは、世界がこのように成り立ったことの鍵を握っている…ということになっている。しかし実際のところ、この『天空のビバンドム』は、作者の自動書記的な自由な連想の中から物語が紡ぎ出されており、確固とした筋道立った物語が存在しているというわけでもない。だから読者は物語を追うよりも、その一齣一齣に精緻極まりない描き込みの成された圧倒的なグラフィック、現れては消えてゆく異様なイメージ、そしてそのイメージの中に込められた作者のシニカルな視点を愉しめばいい。
登場人物・動物・悪魔たちは最初に持っていた属性、形態を物語が進むうちにどんどんと変容させてゆき、"意味性"と"記号性"を変質・喪失してゆく。例えばアザラシのディエゴは、最初アザラシとして登場したにも関わらず、物語半ばで実はゴムタイヤが変身したものだということにされ、最後には悪魔や小人たちが乗り込む意志無きロボットとして扱われる。町の"市長"などは、実はウジ虫大の細かな小人たちが寄り集まって人間の形をしたものだ、ということが途中で(思いついたように)明かされる。作者にとってこれらキャラクターは、物語の語り部なのではなく、粘土のごとき幾らでも変態可能な素体でしかないということなのだろう。
それは、作者にとって、理屈にかなった理由があるからというよりも、そういう具合に描くことが、"面白いから"に違いない。"意味"や"理屈"など後付けなのだ。作者が最も描きたかったもの、それは次々に変容してゆくイメージであり、その"変容してゆくイメージ"は、作品のなかでころころと変わってゆく絵柄の中にも現れる。この作品において、作者は画材と技法を数ページごとに変えてゆき、それは、水彩、カラーインク、アクリル、ガッシュ、クレバス、コラージュと、実に多彩なものだ。これら技法・画材の違う絵柄が次々と現れてゆく実験的な方法は、そうして描くこと自体が、作者にとって"描く"という行為の新鮮さを常に保ち続けること、描くこと・物語ることに作者自身が常に驚きを持って接することができることに他ならない。そしてその新鮮さ、驚きは、読む者にもまさにダイレクトに伝わり、共有することの出来るものなのだ。
ページごとに常に驚きのある物語、美しくて、グロテスクで、異様で超現実的で、そしてナンセンスな物語。『天空のビバンドム』は、これまで誰も体験したことのない異次元のようなコミック体験を読者に与えてくれるだろう。非常にアーティスティックな作品なので、美術に興味のある方にも是非お薦めしたい。
○『天空のビバンドム』公式サイト