【SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー】全3巻読んだ

■ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選

ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

「宇宙SF」ではなく「宇宙開発SF」なのである。宇宙に憧れ空に飛び立つ夢を叶えようとする人々についての物語というわけだ。去年のはやぶさ人気にあやかったような気もするが、あんまり食指の動くテーマでもないし、そもそも地味過ぎねえか?
冒頭の『主任設計者』(アンディ・ダンカン)、『サターン時代』(ウィリアム・バートン)、『電送連続体』(アーサー・C.クラーク、スティーヴン・バクスター)はそれぞれソ連、アメリカ、イギリスの「もしもの世界」の宇宙開発が描かれる。並べてあるのは面白いが、それ全部読まされるのもなあ。
『月その六』(スティーヴン・バクスター)は並行世界の月と地球を旅せざるをえなくなった男の物語。面白かったが宇宙開発…ってテーマでもないような。火星開発を描いた『献身』(エリック・チョイ)は開発それ自体にきちんと敬意を表したよいアイディア。リトルグレイそっくりに顔で生まれた少年が困難を乗り越えながら宇宙へと飛ぶ『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』(アダム=トロイ・カストロ、ジェリイ・オルション)はなかなかの逸品。
全体的にもっといろんな惑星の「宇宙開発」がセレクトしてほしかったような気がしたし、この程度ならSFマガジンで特集組む程度でいいんでねえの?と思った。まあSFマガジン読んでないし読む予定も無いけど。

■ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

時間SFというとどうにも感傷とか追想でベッタベタになった作品が並び大いに食傷してしまう。それ以前に『商人と錬金術師の門』のテッド・チャンの文体はぬるぬるして嫌いだし『限りなき夏』のクリストファー・プリーストの文章は読み難くて嫌いだし『昨日は月曜日だった』のシオドア・スタージョンの文章は子供っぽくて辟易する。こいつらの文章は昔からオレにとって鬼門。
表題作『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』(F・M・バズビイ)も昼メロかニューミュージックかと思うような大甘なラブロマンス展開にげっそり。『いまひとたびの』(H・ビーム・パイパー)みたいな自分の人生をもう一度やり直して美味しい思いをしたいという物語も不毛過ぎて読む気が失せる。しかしここまでボロクソに言っておいて『去りにし日々の光』(ボブ・ショウ)はやはり名作中の名作。光が透過するのに何年も掛かるガラス「スローガラス」、そこには既に過ぎ去った日の光景が映る…という物語なんだが、なんだオレ結局好きなんじゃんこういうの…。
レコードの針飛びみたいに同じ時間の中を繰り返すのは『12:01PM』(リチャード・A・ルポフ)と『しばし天の祝福より遠ざかり…』(ソムトウ・スチャリトクル)。この妄想はオレもよくするなあ、延々同じ時間軸の中でループしながら生き続けるのって。いつも同じ生活してるから思っちゃうのかなあ…。時間の流れが違う世界『旅人の憩い』(デイヴィッド・I・マッスン)、人々のまわりで歴史が高速で繰り返す『夕方、はやく』(イアン・ワトスン)はSFならではの奇想な作品。こういう妙なことを考える作家って面白い。時を越えて愛する婆さんの面影を追う『彼らの生涯の最愛の時』(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア)は老人愛炸裂の変な作品。
その中で『世界の終わりを見にいったとき』(ロバート・シルヴァーバーグ)は、タイムマシンで「世界の最後を見に行くツアー」をやっているというブラックな物語で、今回の作品集の中で一番好きだった。

■スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選

スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

上で紹介した2冊がイマイチだったのに比べ「ポストヒューマンSF」をテーマに編集されたこのアンソロジーは「そうだよオレはこういうSFを読みたかったんだよ!」と思わせる作品が並んだ。編者によると「ポストヒューマンSF」とは"科学技術により人間が変容してゆく物語"だそうで、そして基本的にポスト・サイバーパンク・ジャンルの作品を中心に集めてみたのだそうだ。サイバーパンク運動も実は随分昔のものだけれども、自分はやはりこのサイバーパンク以降のSFストーリーの方がしっくりきたりする。では作品を紹介。
クローン技術により延々と何度も生まれ変わる男女の物語『死がふたりをわかつまで』(ジェフリー・A・ランディス)の気の遠くなるようなラストは身震いすら憶えるし、行き過ぎたサイボーグ技術により人間の意味が薄れていく『技術の結晶』(ロバート・チャールズ・ウィルスン)もどこかニヒリスティックな物語だ。『脱ぎ捨てられた男』(ロバート・J・ソウヤー)も同じくサイボーグと意識のデジタル・コピーについての物語。『グリーンのクリーム』(マイクル・G・コーニィ)、『キャサリン・ホイール(タルシスの聖女)』(イアン・マクドナルド)、はサイバネティクスにより遠隔操作された機械・擬体の中で生きる人々を描く。
そしていよいよ『ローグ・ファーム』(チャールズ・ストロス)登場。イギリスの農場を舞台に"群体"として生きる人々と農夫との対立を描いたグロテスクな未来が展開する。さらにこの"群体"化した人間たちはバイオ化学による木星旅行を計画している、なんて実に荒唐無稽で面白かった。やっぱりストロスはいいな。続く『引き潮』(メアリ・スーン・リー)は進行性の精神退行を発症した人々に対する政府の残酷な計画を、その病に罹った娘を持つ母親の視点から描き、暗く重々しい読後感を残す。『ひまわり』(キャスリン・アン・グーナン)ではナノマシンテロリズムにより妻と子を亡くし、自らもその作用により全ての蓋然的光景を認識してしまうようになってしまった男の追想と救済の物語。量子論的多次元宇宙をナノマシンの持つ演算力により脳内に再現するという着想が面白い。
オレの大好きなグレッグ・イーガンによる『スティーヴ・フィーヴァー』はさらに一歩進んでナノマシン漏洩により世界的なパンデミックが引き起こされた未来を描く。ここでのナノマシンは優れた演算能力と高速な情報ネットワークを持ったウィルスとして登場し、世界に壊滅的な打撃を与える。そしてそのナノマシン群が持つ目的というのがまた奇妙で面白い。
『ウェディング・アルバム』(デイヴィッド・マルセク)では意識のコピーが容易になった未来での"コピーの意識=シミュラクラム"の悲哀を描く。多数の"自分のコピー"が合議する様はなかなか薄気味の悪いものだが、物語としてはちょっと長過ぎかな。『有意水準の石』(デイヴィッド・ブリン)は【シンギュラリティ】後の世界における電脳意識の人権がテーマだ。しかしデイヴィッド・ブリンって上から目線な文章書くからオレは嫌いなのだが、この作品に関してはその上から目線振りがひとつのテーマとなっていて面白い。ストロスの傑作『アッチェレランド』を思わせてよかったな。
そしてラストはSF界の大御所ブライアン・W・オールディスによる『見せかけの命』。宇宙の彼方に浮かぶとある惑星、その赤道をぐるりと取り囲む巨大建造物"博物館"。それは超古代銀河文明が残した遺棄物で…という出だしがもうボルヘスを思わせてドキドキ。そしてそこで展開される6万5千年前に潰えた筈の愛の記憶。設定が遠大過ぎてクラクラするこの作品は、ちょっとメロドラマっぽいところもあるが、アンソロジーの掉尾を飾る名作なのは間違いない。