ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』はハードボイルドな文学だった

■さらば甘き口づけ / ジェイムズ・クラムリー

さらば甘き口づけ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

さらば甘き口づけ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

酔いどれの私立探偵スルーはカリフォルニア州の酒場で、捜索を依頼されたアル中作家トラハーンを見つけた。が、トラハーンは怪我のため入院することになった。足止めをくったスルーは、そこで、酒場のマダムからの別の依頼を引き受けた。依頼は、10年前に姿を消したきり行方の知れない娘を捜してほしいというものだった。病院を抜け出してきたトラハーンとともに娘の足跡をたどり始めたスルーの前に、やがて、女優志望だった娘の10年間の哀しい軌跡が浮かびあがってきた…。さまざまな傷を負った心を詩情豊かに描く現代ハードボイルドの傑作。

これはとても読んですっと馴染むハードボイルドでした。"酔いどれの私立探偵"っていうぐらいだからなんだかもうしょっちゅう酒飲んでヘベレケなんですよねえ。まるで自分を見ているようですよ!最初の失踪人探しも酔っぱらいの作家を探すってだけで、で、この作家が見つかったら見つかったで同じ酔っぱらい同士意気投合してクダ巻いてるしさ、物語前半は、この「しゃーねーオヤジ連中だなあ」って苦笑したくなるようなトボけた雰囲気がいいんですね。

だいたいこの小説自体、あっちふらふらこっちふらふらと酔っぱらいの千鳥足みたいにエピソードが脱線しながら続き、主人公自身もあっちの土地へこっちの土地へとさまよっているんです。この不確かで移ろい続ける状況と、根無し草のように移動を繰り返す主人公の様子が、物語を読み進めるに連れて奇妙な喪失感と寂寥感を醸し出してゆくんです。そして事件は始まりそうで始まらず、終わりそうで終わらない。この物語の中心となる事件は、よくあるような家出娘探しでしかないんです。調査の中で分かってゆく家出した少女のその後の人生は、文字通り最低のものではありましたが、それもいってしまえばありふれた転落の風景であり、鬼面人を驚かすような極端に残酷な運命が描かれるわけではない。

ただ逆に、そんなありふれた不幸が、読んでいて奇妙に哀れに感じてしまう。最初はお気楽だった探偵と作家との関係も、作家の妻や元妻を挟んでどんどん雲行きが怪しくなっていく。愛にしろ、希望にしろ、友情にしろ、最初は単純だったはずのものが、どんどん複雑になっていき、最後にはそれらとは全然別の、まるで手に負えないものに変質してしまう。ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』は、様々な人々の、そんなやるせない人生を描いているんです。これって文学だよなあ。しかしクライマックスでは、ハードボイルドらしいドンパチがあって物語にアクセントを付けます。これは傑作でした。