80年代バットマン・ブームの掉尾を飾った悪夢的バットマン・ストーリー『バットマン:アーカム・アサイラム』

バットマンアーカムアサイラム 完全版 / グラント・モリソン, デイブ・マッキーン, 高木亮, 秋友克也, 押野素子

「ここに来い、狂気の館に。お前のいるべき場所によ」犯罪者専門の精神病院『アーカムアサイラム』で暴動が発生した。ジョーカーの誘いに乗って一人乗りこんだバットマンを待ち受けていたのは、トゥーフェイス、マッドハッターら危険な囚人達だった。彼らと対峙し、悪夢の館を彷徨うバットマンは、いつしか正気と狂気の狭間に陥っていき…。コミック業界を戦慄させた衝撃の問題作が完全版で登場。著者グラント・モリソンによるフルスクリプト&ラフスケッチを完全収録。

解説によるとこの『バットマンアーカムアサイラム』は"1986年3月発売の『バットマンダークナイト・リターンズ』に始まるバットマン・ブームの最盛期に発売された、バットマン史上屈指の問題作というべき作品"であるらしい。確かに1986年からこの『アーカムアサイラム』の発売された1989年までは『ウォッチメン』、『バットマン・イヤーワン』、『バットマンキリング・ジョーク』、『Vフォー・ヴェンデッタ』『サンドマン』などコミック史に残る名作・問題作が刊行され、そして1989年6月にはバートン版『バットマン』が公開されコミック・ブームは絶頂を迎えるのだ。『アーカムアサイラム』はこのブームの掉尾を飾る作品として発表されるが、それは同時に、従来のコミックの在り方を解体再構成して文学的かつ深みのある作品として完成させることを試みた時期の最後でもあったのだという。
そういった意味で、この『アーカムアサイラム』はヒーロー・コミックの表現の在り方として実に野心的で斬新な部分へ踏み込んでいる。それはなんといってもアーティストであるデイブ・マッキーンのひとコマひとコマがまるでグラフィック・アートのような芸術的な技巧を凝らされた絵にあるだろう。ライターであるグラント・モリソンは精神病院アーカムアサイラムをさ迷うバットマンヴィランたちというシナリオを、アーカムアサイラムの呪われた歴史を織り込みながら禍々しくメランコリックな物語として綴るのだ。それは正義と悪の力対力の戦いというよりは登場人物たちの心の底に眠る狂気同士が形となって争っているかのごとき夢幻の物語であるのだ。
即ちこの『アーカムアサイラム』はそれ自体が悪夢についての物語であり、悪夢そのものを描いたかのような作品として完成しているのだ。アラン・ムーアフランク・ミラーらが描くヒーローたちの物語は文学的であると同時に構築的な物語であり、そこには古典的な物語が持つ論理性が附帯していたが、この『アーカムアサイラム』はもっと混沌としており、グラフィックの持つ圧倒的なまでの幻想的なイメージが物語そのものを牽引している。つまり高い文学性を得ることにより興隆したヒーロー・ブームが、感覚的でイメージが優先するものへと変化し終焉を迎えた、その先鞭となったのがこの『アーカムアサイラム』なのかもしれない。