『冥談』と『厭な小説』〜京極の短編集2冊を読んだ

■冥談 / 京極夏彦

冥談 (幽BOOKS)

冥談 (幽BOOKS)

『幽談』に続く京極怪談第2弾。『幽談』は根岸鎮衛が著した近世後期の随筆『耳嚢』を思わせる「この世のものともあの世のものともつかない"幽(かす)かな"世界」を描こうとした作品集だったが、この作品集『冥談』もそれと同様、「この世とあの世が出会うという逢魔が時のように"冥(くら)い"世界」を描き出そうとしたものなのであろう。その"幽(かそけ)き冥(くら)き世界"は、なにもかもがどこか朧で曖昧で、目の前に見えているものが本当に存在しているのか存在していないのか、不確かであり不明瞭であり、とらえどころのない不安定さが不安を生む、寄る辺無き世界なのだ。だからここで描かれる全8編の怪談は、強烈な恐怖や異様な怪異を描くものではなく、よく知っているはずのありふれた日常の中に、エアポケットのように出現した奇妙な違和感・異物感が不安を生み出してゆく、という作りになっている。登場人物の見たものが、本当にあったものなのかどうか、起こったことなのかどうか、それは分からない。登場人物でさえ、それがなんだったのか、分からない。分からない、分かりようがない。何故ならそれは、"幽(かそけ)き冥(くら)き"、なにもかもがどこか朧で曖昧な世界で起こった出来事だからなのだ。

■厭な小説 / 京極夏彦

厭な小説

厭な小説

本のタイトルが『厭な小説』、収められたそれぞれの短編のタイトルが「厭な○○」、物語の最初と最後の言葉が全て「厭だ」、そしてもちろん内容は読んでいて「厭な気分」になる小説。そんなある意味確信犯的な構成が成された短編集である。装丁まで汚らしく「厭な感じ」に作られていて、ページとページの間には御丁寧にも潰れた蚊(の絵)が挟まっているのには大笑いさせられた。お話の内容のほうは「厭な話」というか要するに不愉快な話。それらは日常的な出来事の積み重ねだったり超自然的な出来事だったりもするが、不愉快な出来事がどんどんと重なってストレスを肥大させてゆき、最後にイヤラシイ結末を迎える、といったものだ。ただどうも一生懸命に不愉快さを煽るのだが、やりすぎなのか不得手なのか、読みようによっては不愉快を通り越し、あまりの不条理さから笑っちゃうような話もあり、悪くはないものの"厭な話"というのとはちょっと違うなあ、と感じた作品も多かった。いわゆるホラーのたぐいというのは、不安と不快のパラメータを増大させてゆくことで成り立つものだという話だが、『幽談』『冥談』が不安についてを、そしてこの『厭な小説』で不快についてを京極は描き分けたかったのかもしれない。