バットマンとスーパーマンのラスト・エピソードを読んだ

バットマン:ザ・ラスト・エピソード / ニール・ゲイマン

それはバットマンの葬儀だった。葬儀に参列するのはバットマンのかつての盟友と宿敵たち。棺に横たわるバットマンの前で、彼らはかわるがわる語り始める。「バットマンは何故死んだのか?」――"バットマンの最終回"、ニール・ゲイマン原作の『バットマン:ザ・ラスト・エピソード』はそんなふうに始まる。
バットマンの死に様について、語られる事実はどれも異なっている。しかしそれでも彼らはたった一つのことを語っている。それがどのような形であれ、ヒーローもいつかは死ぬ、ということ。そして死を語るというのは同時に"生"を語るということでもある。バットマンは何のために生きていたのか?それは誰もが知る、両親を失ったあの事件への怒りと悲しみゆえだ。あのような悲劇を生んだ犯罪を根絶やしにするためだ。しかし、幾ら犯罪者を懲らしめたところで、犯罪が全て無くなるわけではなく、バットマンは永久に戦い続けなければならない。ただ怒りと悲しみだけを胸に、決して癒されること無く、死ぬまで生き続けること。それは無間地獄だ。いってみればバットマン・ストーリーとは、バットマンブルース・ウェインに永遠に救済をもたらさない物語だったのだ。
しかし。バットマンの死を描いたこの『バットマン:ザ・ラスト・エピソード』は、クライマックスにおいて、バットマンへの真の救済が用意される。原作者ニール・ゲイマンによる鮮やかな手腕で描かれたそのエピソードは、バットマン・ストーリーの終焉はこれ以外にありえないのではないかと思わせるほどに感動的な幕引きを見せる。ダーク・ファンタジーの第一人者であるニール・ゲイマンはそれを詩的でそして哀切に満ちた夢幻の物語として描ききる。終わらぬ怒りと悲しみの円環は閉じ、救済という名の終幕がそこには待っている。それはどこか宗教的であり、神々しくさえもあるラストだった。全てのバットマン・ファン必読の書、それがこの『バットマン:ザ・ラスト・エピソード』なのだ。

■スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード / アラン・ムーア

この『スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード』、そして『バットマン:ザ・ラスト・エピソード』は、彼ら有名ヒーローの物語を一度リセットして新たな設定で物語を始めるために描かれたものであるという。そしてこの"スーパーマンの最終回"の原作を任されたのが『ウォッチメン』、『フロム・ヘル』のアラン・ムーア。しかしムーアがこの原作を書いた時期はこれら問題作を連発する以前だったらしく、そのせいなのか物語自体はオーソドクスといっていいぐらいストレートな、いかにも"最終回"的な展開で、読んでいて牧歌的だなあとさえ思えてしまった。とはいえスーパーマン敵味方キャラ総出演で大団円を迎えるこの物語は、描く者にとっても読む者にとっても"スーパーマン・ファン"の溜飲を下げるサービス満点の1作だったのに違いない。