深層心理の国のアリス〜映画『アリス・イン・ワンダーランド』

アリス・イン・ワンダーランド (監督:ティム・バートン 2010年アメリカ映画)

■ティム・バ−トン最新作『アリス・イン・ワンダーランド

調べてみたらティム・バートンのメジャー製作映画は全て観ていた。それだけ気になる監督であるし、ある時期までは本当に好きな監督であったのは確かだ。『ビートルジュース』のキッチュでカラフルな死後の世界、『マーズ・アタック!』のチープでブラックな60年代SFの世界、『シザーハンズ』や『エド・ウッド』で描かれるフリークスの孤独と悲しみ。心奪われた作品は挙げていくときりがないほどだ。そしてそれら全てが『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』でも窺える個性的で卓越した美術センスで描かれるのだ。いうなればSF・ホラー・ファンタジーオタクの濃縮複合体みたいな監督だった。だがどうも『スリーピー・ホロウ』あたりから手癖だけで作っているような空虚な作品が目立ち、前作『スウィーニー・トッド』あたりまでいまひとつな感想ばかり出るような作品が並んでいた。

そこでこの『アリス・イン・ワンダーランド』が新作として届けられたわけだが、いやこれがもう、これまでの不作が嘘だったかのような、ティム・バートンの面目躍如ともいえる良作に仕上がっていた。そもそも『不思議の国のアリス』をバートンが映画化、と聞いた時点でこれは傑作にならないわけがない、とさえ思っていたぐらいだ。うさぎの穴から落ちて不思議の国を巡った幼いアリスが13年後、19歳の少女となり再び不思議の国を訪れる…というこの物語は、原作『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』のお馴染みのキャラクターやエピソードを上手く生かしながら映画独自のストーリー展開を見せ、最後にはアリスが争乱の渦中にある不思議の国を救おうと立ち上がる、といった物語になっている。『不思議の国のアリス』はもともとがダジャレや語呂合わせなどナンセンスな文章を基調としたメタ小説的な児童文学であり、それを起承転結のあるドラマとして仕上げるのだからこういった肉付けは必要なことだろう。

■深層心理の世界

自分の道を切り開き、世界のために立ち上がるアリス。そこにはオリジナル・アリスのような周りに翻弄されるだけの受け身なアリスの姿は無く、そして過去のバートン作品のような日陰者の痛みや悲しみが描かれるわけでもない。そんなアリスの物語に、また、バートンの映画に、違和感がある方もいるかもしれない。だがしかし、自己完結した幼い少女から成長し、大人として世界と社会に立ち向かわなければならないアリスの姿は、バートンの映画的変化ともどこか被らないか。それを変節と取るか変遷と取るかは観る者の側にあり、オレが最近のバートン映画に感じていたように、「昔のバートンのほうがよかった」という感想もあるかもしれない。だがこの映画は、エヴァンゲリオンのシンジくんが「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と自己を追い込みながら、最終的に、「ボクは逃げてもいいんだ」という結論に達したように、「変じゃダメなのか?変じゃダメなのか?」とルサンチマンを抱えたバートンが、「ボクは変でもいいんだ」と自己を受け入れた作品だったのではないか。それはアリスの父が幼いアリスに語った、「優れた人は皆頭が変さ」といった台詞に表れているように思う。この台詞は実はそのままバートン自身の我褒めととっていい。即ち変であること、一種のフリークスであること孤独や悲嘆を描き、自虐的であったり露悪的であったりしたかつてのバートンが、その才能を開花させて製作した映画への数々の賞賛により、大いなる自信を持てるようになったことの喜びを表しているのではないか。

『不思議の国』と名付けられたこの世界は、アリスの深層心理の世界だ。その世界における白の女王と赤の女王の戦いは、善と悪の戦いなのではない。血の繋がった姉妹である赤と白の女王のその性格は、実は1つのパーソナリティーの内面と外面なのだ。それは無意識と意識であり、アニマ・アニムスとペルソナであり、幼児性と社会的成人なのだ。つまりこの戦いは、子供から大人になろうとしている少女アリスの成長の葛藤なのであり、結果的に白の女王は勝利するが、それは社会的自己を確立するための通過儀礼ではあっても、決して内面や無意識や幼児性を否定するものではない。なぜなら、白の女王その人もまた、不思議の国の住人ではないか。人はいつか大人にならなければならないものだけれども、それは子供であったことを捨て去るといったことではない。子供であった頃を内包しつつ、人は大人になるのだ。大人になるとなにかとツラの皮が厚くなり、世知に長けたしたたかさを兼ね備えてしまうものだが、雀百まで踊り忘れずの例え通り、子供の頃、若かりし頃に心に刻まれたことは容易くなくなりはしないはずだ。映画『アリス・イン・ワンダーランド』は、そういったアリスの成長の物語であると同時に、かつての自分を乗り越えた監督ティム・バートンの、精神的変化を映した映画でもあるのだ。

IMAX 3D

そしてアリスといえばやはりシュールな登場人物や世界の造型だ。映画『アリス・イン・ワンダーランド』の主役はこの美術であるといっていい。原作にあるテニエルの挿画やアニメ化されたディズニー作品のファンシーさを、ティム・バートンは美しくもまた不気味な美術造型へと改変し、それは熱帯の毒花のようにこれでもかとばかりに咲き乱れ、観る者の目を楽しませてくれるだろう。大きくなったり小さくなったりする度に変化し着替えさせられるアリスの衣装もまた楽しい。ちなみに今回の『アリス・イン・ワンダーランド』はIMAX3Dで鑑賞した。『アバター』の時も思ったが、IMAX3Dで観る映像の没入度は凄まじいものがあり、この『アリス・イン・ワンダーランド』もとても楽しんで観ることが出来た。IMAX、恐るべし。