ジョー・R・ランズデールの《ハップとレナード》シリーズ2冊読んだぜ

■ムーチョ・モージョ / ジョー・R・ランズデール

ムーチョ・モージョ (角川文庫)

ムーチョ・モージョ (角川文庫)

地獄のような七月の暑さの中、ハップとレナードは、死去したばかりのレナードの叔父チェスターの家を掃除していた。しかし室内が片づくにつれて、汚れた秘密が姿を現す。腐った床板の下で見つかったのは、ポルノ雑誌に包まれた子どもの骸骨だった。警察に通報しようとするハップをレナードが止める。「誰かが叔父貴を殺人犯に仕立てようとしているんだ」―そして二人の独自の捜査が始まった。東テキサスのやけどしそうな太陽の下、徐々に明らかになっていく醜悪な真実とは…。ジャンルを超越した異才が放つ各方面絶賛の怪作。

■バッド・チリ / ジョー・R・ランズデール

バッド・チリ (角川文庫)

バッド・チリ (角川文庫)

沖合油田の仕事を終え、意気揚揚と家に戻ったハップ。しかし町では悪友のゲイ、レナードが恋人ラウルとの破局を迎えていた。トラブルの予感…。案の定、すぐにラウルの新恋人が死体で発見され、レナードが容疑者に。だが友を救うためとはいえ、ハップは法律を曲げたりはしない。例によって、踏みつけることにした―。ワケありの看護婦ブレットとのロマンス、謎のチリ・キングの暗躍、超ド級の竜巻の襲来、累累と積み重なる死体、睾○を襲う電気ショック…。有害図書指定へ向けシリーズ最高のテンションで飛ばす問題作。

なにしろオレはジョー・R・ランズデールの「ハップとレナード」シリーズが好きなのだ。アメリカ南部の貧困地帯を舞台に、落ちこぼれ中年白人ハップと、彼と友情で結ばれた(つまりカップルではない)黒人ゲイ・レナードを主人公として語られるこの物語は、凄まじい暴力描写と笑っちゃうほどお下品な下ネタが連発されるミステリ作品なのだが、なにしろこの二人の人物造型がとても素晴らしいのだ。

かつて兵役忌避者であり、40になろうという今はまともな職も無く、たまに単純作業に従事しているだけの貧乏人ハップは、白人社会の底辺にいる男だ。さらにハゲだ。そしてレナードは、黒人でありゲイであるという、二重の差別の対象になるような男であり、彼もまた社会の底辺にいる男だといえるかもしれない。しかし彼ら自身は口こそ悪いけど決してサイテーな人間ではない。だらしない生活ぶりをしていても心は高潔であり義理人情に篤い。ボロは着てても心はニシキ、ってやつだ(by水前寺清子)。さらに鼻っ柱が強く腕っ節まで強いときたらヒーローの風格十分ではないか。まあなにしろ下品ではあるが。

そんなハップとレナードがまきこまれる事件の多くは、これもまた社会の底辺にいる人々や社会的弱者がなんらかの惨い目に遭わされるような事件ばかりである。『ムーチョ・モージョ』では貧しい黒人の子供達が変質者や麻薬売人の毒牙にかけられ、『バッド・チリ』では同性愛者ばかり狙うリンチ集団が現れる。以前読んだ『人にはススメられない仕事』はマフィアに拉致監禁された売春婦を救う話だった。これらの犯罪の被害者たちは、当局にとって社会のお荷物であり、いてもいなくても別に構わないと思われている存在だ。だから犯罪が行われていても警察はまともに取り合わず、人死にが出ても社会から屑が一人減ったと思われるだけなのだ。

しかしハップとレナードはそれを許せない。とは言っても、彼らは別に悪人退治を信条とした正義の味方を演じているわけでもない。彼らの住む貧困地帯では、未だに根強く差別が残り、また貧困からこれらの遣り切れない事件があまりにも多く発生するため、いやおうなくそれに巻き込まれてしまうのだ。そしてこれらの事件の被害者たちと同じく、ハップもレナードもマイノリティであり社会の底辺に生きる存在だ。だから彼らのやっていることは上から目線の貧者や弱者の救済ではなく、同じ劣悪な境遇の中で生きざるを得ない人々を止むに止まれず救ってしまう、ということなのだ。そんな彼らに襲いかかるのもまた底辺でありアウトローである人間たちであるというのもひとつの皮肉だ。

一応短く感想を書くと、『ムーチョ・モージョ』は子供殺しの犯人を追うミステリ仕立てになっている。身の丈に合わない恋に苦しむハップの姿が泣かせる。そう、このハップとレナードシリーズ、結構切ない恋愛模様が描かれたりするのだ(ただしシモネタまみれだが)。『バッド・チリ』はテンションの高い(ハチャメチャとも言う)作品だ。冒頭から狂犬病のリスに噛まれて大騒ぎするハップが笑わせてくれる。しかしすぐさま血生臭い事件が勃発し、サイコな拷問魔がそこらじゅうに死体の山を築き、暴力と残酷描写の渦は最高潮に達する。あと下品さもな。ここでもハップの恋がいじましく描かれるが、勿論シモネタまみれである。