凄惨かつ詩情に満ちたヴァンパイア・ラブ・ストーリー〜映画『渇き』

■渇き (監督:パク・チャヌク 2009年 韓国映画


吸血鬼になってしまった神父が人妻に岡惚れし、やってやってやりまくったあげく人妻も吸血鬼にしてしまうが、人外のものに成り果てた二人には悲劇が待っていた…という、まあざっくり言うとそういうお話であります。要するに生臭坊主の転落ということですな。神に帰依する者がアンモラルな魔道に堕ちるというテーマの物語はそれほど珍しいものではなく、S・キングの『呪われた町』あたりでも吸血鬼の使い魔に身を落とす神父なんていうのが出てきましたな。

信仰と欲望の狭間の葛藤、とか言いますが、まあやっっちゃったもんはやっちゃったもんだし、グダグダ悩まずに開き直っちゃえばいんでね?とか思うし、やっちゃったのはホントのボクじゃないから知らないもん!と現実から目を背けツラッと二重思考の世界に生きる、という手もあるかと思いますが、なにしろ根が真面目というか信仰で頭ガチガチになってる主人公らしいのでとりあえず悩んじゃうんですな。人間何かとシガラミが多いのでしょう。ただ、この「信仰と欲望」というお話は日本人には特に分り難い所があるし、映画テーマとしてあんまり深刻に受け止めるもんでもねえな、と思いましたね。

だからこのお話って、《吸血鬼》というテーマを無くしたら、単なる「地獄のドロドロ不倫物語(はあと)」ってことにしかならなくなっちゃうんですよ。道を外した神父と人妻はやってやってやりまくるだけでは飽き足らず、しまいに女の旦那をブッ殺したり母親を植物状態に追い込んだりするわけですが、ただそれだけのお話だったら陰惨で生臭いだけで観ていらんないですわな。逆に、この「地獄のドロドロ不倫物語(きら星)」に《吸血鬼》というテーマを加えたからこそ、この物語は美しく哀しいファンタジーに化けてしまうという訳なんです。

確かに韓国映画らしい非常に残虐で凄惨なシーンも相当盛り込まれているんですが、この物語って、やっぱりホラーではなくファンタジーなんですよ。お互いが吸血鬼であるという秘密を共有しあった神父と人妻の二人の世界は、夥しい死と殺戮に対比するように、どこまでも美しく哀しくはかない恋情に溢れているんですよ。そしてその恋情は、《吸血鬼》という非現実のフィルターをかけられたからこそ、生臭い現実のしがらみを遥かに飛び越え、詩情に満ちた狂おしいばかりのクライマックスへと昇華してゆくのです。

それにしても薄幸の人妻テジュを演じたキム・オクビンの可憐さには正直ヤラレましたねえ!物語冒頭の気だるそうな表情の奥でぬらぬらと輝く淫蕩ななまめかしさ、吸血鬼に生まれ変わってからの見るからに肉食っぽい闊達で奔放さに満ちた表情と目の輝き、どちらもそそられまくりでありましたよ!いやあスケベそうでなによりな顔だなあ!この彼女がもろ肌脱いでソン・ガンホ演じる神父サンヒョンとやってやってやりまくるもんだから小生あっというまに昇天でありやんす!全くグヒヒですなあ!

■渇き 予告編