映画『アバター』は異世界への郷愁である

アバター (監督:ジェームズ・キャメロン 2009年アメリカ映画)

■化身

映画『アバター』は西暦2154年の未来、地球から5光年離れたアルファ・ケンタウリの恒星系に存在する衛星パンドラを巡る物語である。そこには大気の組成こそ違うものの地球とよく似た生態系が存在し、ヒューマノイド・タイプの知的生命体・"ナヴィ"が居住していた。この物語の主人公ジェイク(サム・ワーシントン)は、遺伝子工学により生成された人間:ナヴィのハイブリッド・ボディに意識を転移し、そのボディを操ることで人類とナヴィ部族とのある交渉を成立させるためにパンドラに降り立つことになる。しかしその交渉は決裂し、アバター・ボディのジェイクは、人類とナヴィとの戦いの狭間で揺れ動くのだ。

アバター』はIMAX3D版で観た。よく覗かせていただいている某氏のブログで「IMAXは前の席のほうがよい」と書かれていたのでそれを参考にスクリーンが視野ギリギリになる前方5、6列目ぐらいの席に陣取っての鑑賞だ。これはまさしく正解であった。IMAX3Dはそこまで前方でもまだ小さく感じたぐらいだ。しかしそれは劇場設備が、とかスクリーンの大きさが、という問題ではなかったのかもしれない。もはやスクリーンを眺めていることさえもどかしく感じるほどに、それは、圧倒的な存在感を持った"リアル"だったからだ。

■"観るのではない そこにいるのだ"

素晴らしい作品であった。IMAX3Dという新しい体験も含め、この『アバター』はこれから作られてゆくであろう多くの映画作品のマイルストーンとなるべき作品として完成しているといっても過言ではない。ストーリーの単純さ、そのステロタイプな世界観設定などで揶揄されることが多い作品であるが、それらの批判は全て的外れであると思う。また、「映画〇〇に似ている」「映画××に似ている」といったことを指摘するのはいいとしても、それを批判材料にすることはあまりにも陳腐に感じざるを得ない。映画を代表するフィクション、付け加えて音楽ジャンルなどは、20世紀終焉を境に再話・再構成でもって成り立っているものだからだ。

まず、映画『アバター』がやろうとしていたことは、CGと3Dとにより描かれた《異世界の光景》の中に、観客を徹底的に没入させることだったに違いない。その為には、SF作品が陥り易い、ややこしく取っ付き難いテーマを持ち込まず、あえてステロタイプな《判り易い》物語にしたのであろうと思う。限りなく空想的な架空の世界を舞台にした物語を語ろうとする時、それは"再話"であることのほうがより観るものに親しみを与え易い。当然、万人に受け入れられることで、莫大な投資を確実に回収する必要もあったのだろうが。

つまり映画『アバター』の真のテーマは、綿密に構成された3D映像により、空気感さえ感じられるほどの《異世界の光景》の中に観客を放り込み、観客を、キャッチコピーである「観るのではない そこにいるのだ」という言葉そのままに、ただスクリーンを"観ている"のではなく、スクリーンに映し出された世界を"体験している"かの如く感じさせることだったのだ。言ってみれば『アバター』は"鑑賞"する映画ではなく、ある種の体感マシーンのようなアトラクションのようなものだと捉えたほうがいい。この161分に渡る映画作品は、単純な物語をなぞりながら、じわじわと、しかしクライマックスに行くほどに凄まじいまでの3Dスペクタクルを提示してゆくのだから。

■そして異世界へ

さらにこの映画は、二重の意味で、《異世界》への《逃避》を描き出す。主人公ジェイクは、半身不随の不自由な肉体を持ちながら、アバター・ボディに思考転移することで、元の肉体のくび木を捨て、自由に走り回ることの出来る、新たな世界に生きる事になる。その新たな世界は、これまで生きていた世界が、まやかしであったと思えるほどに生き生きとし、そしてもの皆光り輝く、美しい世界だ。そこは生存の為の戦いという危険があるにせよ、むしろ己が生命のきらめきを、確実に感じ取れる世界なのだ。主人公ジェイクは、ナヴィとして生きることを選ぶことになるが、それは、正義や愛だけから、選んだのではないのだと思う。彼は、そここそが、生きている実感を感じることの出来る、"真の"世界だったからこそ、そこで生き、そこを命懸けで守る事を選んだのだ。

そしてこの映画を観ている観客は、というか少なくともオレは、主人公ジェイクの視点を通して、ジェイクと同じように、この異世界パンドラの中に放り込まれ、この世界の驚異に感嘆し、恐怖し、憧憬するのだ。そして、ジェイクと同じように、本来生きる現実の世界がまやかしであるかのような、生々しく、生き生きとした世界に、生きていることを感じるのだ。「映画は人を惨めにする」と言ったのはデヴィッド・ボウイだったが、なにかこの現実を矮小に感じさせるほどに生の息吹を感じさせる世界を描き出した映画『アバター』は、危険な逃避願望すら憶えるような、圧倒的な《異世界》を、オレの目の前に繰り広げていたのだ。

…もっと空を飛んでいたい!もっと空を!



アバター 予告編