『電脳コイル』とはなんだったのか? (前編)

■「電脳メガネ」の見せるもう一つの世界

最近になってやっとTVアニメ『電脳コイル』全26話を観終えた。知ってる人には説明はいらないとは思うが、『電脳コイル』は2007年にNHK教育テレビで放送され、第39回星雲賞メディア部門、第29回日本SF大賞など多数の賞を受賞したSFアニメである。当時話題になっていたのは知っていたので気にはなっていたのだが、どうもTVアニメを観る習慣が無いものだから、ソフト化された後もなかなか手を出せないでいた。しかし最近作品全話がネットで有料配信されているのを知り、やっと観る機会に恵まれたというわけである。結論から言えば、この『電脳コイル』は噂通りの傑作SFアニメであった。

簡単に物語を説明するなら、この『電脳コイル』は、「電脳メガネ」と呼ばれる眼鏡型インターフェイスが一般的になった世界で、主人公である小学生の少年少女達が、「電脳メガネ」が見せる異世界を巡り、あるひと夏の事件を共有し成長してゆく、という物語である。その異世界とは、電脳空間が作り出したもうひとつの世界であり、それはこの世界と重なってはいるものの、バグやアップデートされていない"古い空間"、そしてイリーガルと呼ばれるコンピュータウィルスによって、現実世界とは微妙に異なる光景を垣間見せ、それは時には、現実とは全く違う異世界そのものとなって電脳世界を侵食して行くのだ。

■彼岸と此岸

この、現実世界と重なった、電脳世界というもうひとつの世界がこのアニメの主要な舞台となるのだが、それをありがちなキラキラしたSFチックで未来風の世界として描くのではなく、あたかも仏教で言うところの"彼岸の世界"、お化けや幽霊や得体の知れない暗闇が横溢する霊的な"あの世の世界"として描いているところがこのアニメの大きなポイントだろう。つまりハイテクを駆使したウェラブル・コンピューターが実現した近未来社会が、都市伝説の囁かれる仄暗いオカルト世界と直結してしまう、という逆転現象が新鮮味を生んでいるのだ。不可視の世界を可視することができる技術、これがあたかも科学ではなく呪術であるかのように扱われるが、クラークの弁を持ち出すまでも無く進化した科学のメソッドは魔法や呪術と変わりないものなのだ。

勿論、電脳と神秘主義が係わりあうというアイディア自体そのものは新しいものではなく、ウィリアム・ギブソンサイバーパンクSFには電脳世界の彼方に存在するブードゥーの神々が描かれるし、「攻殻機動隊」ではアーサー・ケストラーの「機械の中の幽霊(Ghost in the Machine)」を引用した"ゴースト"という単語が頻用される。即ち、肉体とはいうなれば微細かつ精緻に織り込まれた機械/システムでしかないのにも関わらず、そこに"魂"という概念はどこに外挿されるのか?という問いかけである。同じように、電脳=AIとはアルゴリズムの集積でしかないということもできるが、人はそれがあたかも"生あるもの"の振舞いのように見てしまうことがある。さてここで、生命と非生命の違いとは何か?という議論が出てくるだろう。いうなれば機械論的唯物論への疑問と反証がこれらの作品には存在している。

■オカルトとテクノロジーの狭間

翻って、『電脳コイル』の世界は一見オカルトのように見えるテクノロジーが存在する世界である。そして、一見神秘主義的な異世界のように見える電脳世界/拡張現実空間が存在する世界でもあるのだ。『電脳コイル』のキーアイテムであるガジェット「電脳メガネ」は子供だけのオモチャではなく、このメガネをかけることによって仮想パソコンや仮想携帯電話を呼び出し操作することが可能であり、また「電脳メガネ」でしか見えないバーチャル・ペットを飼う事も可能だ。この《拡張現実(Augmented Reality=AR)》のテクノロジーは現実でも研究が進められており、『電脳コイル』ほどではないにしても具体的な実用・商品化に入っているものもあり、ビジネス・カンファレンスが開催されているほどである。

作品としてみるならば、こういったテクノロジカルな側面を強調することなく、「電脳メガネ」の見せる"彼岸と此岸"を行き来しながら、その狭間の中で生の意味を読み取ってゆく少年少女たちの瑞々しい情感を描いた、文句無しに素晴らしい作品であるといえるだろう。10代に満たない子供達にとっては、"生”とはまだ未分化のものであり、世界とはまだ不確かなものでしかない。だからこそ彼らは容易く"彼岸=あの世の世界"を妄想し垣間見てしまうけれども、それを「電脳メガネ」というガジェットを持ち込むことにより、決して御伽噺やオカルト話ではない、現実的なドラマとして"彼岸=あの世の世界"を視覚化することができた、という部分がユニークなのである。

(続く)

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