君の知らないメロディ、聴いたことのないヒット曲。〜映画『パイレーツ・ロック』

パイレーツ・ロック (監督:リチャード・カーティス 2009年イギリス映画)

■内ポケットにいつも トランジスタラジオ

オレが10代のガキだった頃は今みたいにインターネットなんか存在しておらず、音楽の情報を得るのはもっぱら雑誌かラジオ番組だった。当時よく聴いていたのはNHK-FMでやっていた渋谷陽一のサウンド・ストリート。この番組はいつも最新の海外のロック・ミュージックを流してくれていた。ハード・ロックやアメリカン・ロックなどよりもパンクやニュー・ウェーブなどインディペンデントなレーベルの音楽に強い番組で、誰もが知っているような"売れ線"のロックばかり流していた他局の番組とは明らかに違う選曲が素晴らしかった。オレはこの番組を毎回カセット・テープに録音しては、何度も何度も繰り返し聞いていたものだ。オレの音楽的なルーツは多分この番組と、渋谷陽一が編集長をやっていた雑誌『ロッキング・オン』によるところが大きいだろう。(当時のロッキング・オンって読者からのレビュー投稿で成り立っていた同人誌っぽいノリのある雑誌だったんだぜ?)当時録音したテープはオレの思い出の塊として、今でも押し入れの奥に仕舞ってある。

それとあの当時、FM放送というのはTV番組みたいに随分前からプログラムが決まっていて、週間TV番組雑誌みたいにFM番組情報雑誌というのが存在していたのだ。

FM放送が開始された頃は、電電公社の中継回線がステレオに対応しておらず、テープネットで放送していたため、番組の曲目があらかじめ数週間前から決められており、これを逆手にとって演奏曲目を雑誌に掲載されたのが始まりだといわれている。
FM情報誌が出版されていた時代は音源としてアナログレコードとFM放送が中心であった時代であり、いかに音を記録・再現するかといったことについて多くの紙面が割かれていた。音を取り出すアナログプレイヤーのカートリッジから音の出口であるスピーカーにいたるまで詳細に検討されそれが記事となった。読者の視聴する部屋を紹介してその環境改善のアドバイスをするといった企画すら存在していた。
「FM情報誌」Wikipedia

アルバム1枚まるまる放送することもよくあって、これもあらかじめ番組表で調べてカセット・テープに録音して聴いていた。当時はFM番組の音楽を録音することを"エア・チェックする"と言っていたよ。FM雑誌には『FMレコパル』や『FM Fan』なんていう雑誌があって、どちらも時々買っていた。小遣いの少ない学生にはありがたかったが、ただどうしてもクラシックや歌謡曲のほうが割合で言えば多かったし、ロック・ミュージックにしてもオレのあんまり好きではない"売れ線"な音楽が多くて、普通の音楽番組はそれほど熱心には聴いていなかったかもしれない。どちらにしろ、オレにとって"ラジオとロック"というのは非常に思い出深いものであることは確かだ。

■ホットなナンバー空に溶けて行った

映画『パイレーツ・ロック』は、1966年のイギリスを舞台にしたロックを愛するラジオDJたちが活躍する映画だ。当時イギリスには民放のラジオは存在せず、国営のBBCラジオは1日45分しかポピュラー・ミュージックを流さなかった。しかし、公海沖に停泊する海賊ラジオ局《ラジオ・ロック》は1日24時間、船からロックをはじめとするありとあらゆるポピュラー・ミュージックを流し、イギリスの人口の半分に当たる2500万人以上の人がこれを聴き熱狂していた。しかしイギリス政府は"品の無い破廉恥な音楽"を流す《ラジオ・ロック》を快く思わず、彼らを叩き潰そうと画策していた…。そして《ラジオ・ロック》とイギリス政府との戦いが始まるのだが!?というお話だ。

"ラジオとロック"、そして反体制。こんなお話をオレが嫌いなわけが無い。だが映画が始まって物語を追っていくと、だんだん違和感を感じてきたんだよな。ご機嫌なロックを流すご機嫌なDJたち、そして彼らのご機嫌な毎日。彼らの番組に首っ丈で、ラジオから流れるロック・ミュージックにあわせてご機嫌になって踊る人たち。いや、悪くは無いさ、オレもご機嫌なのは嫌いじゃないからさ。でもさあ、なんだか浮かれ過ぎだと思ったんだよ。そもそもロックってそんなにご機嫌なものだったっけ?少なくともオレにとってロックって、ご機嫌なものでもあったけど、同時にヒリヒリした辛くいたたまれない現実を歌うものでもあったんだ。みんなでハッピーになろうぜ、というのはいいんだけど、でも、それだけじゃなかったろ?

ただこれって、時代背景である1966年というのが原因だったかもしれないんだよな。60年代中期、ブリテッシュ・ロック・シーンにはローリング・ストーンズビートルズザ・フーもいたし、アメリカはヒッピー文化隆盛の時期でフラワー・ムーブメントだのウッドストックだのがあったんだ。つまりまだ幻想が幻想として存在していた時期のロックだったと思うんだよ。だが70年代からのロックは、即ちビートルズが解散したあとのロックというのはもっと暗く重くヒリヒリしたものに変わって行ったんじゃないかな。それは60年以降からの『英国病』とよばれるイギリス経済の停滞、オイル・ショック、1965年勃発し1975年まで続いたベトナム戦争の影響があったはずなんだ。どちらにせよ、幻想は終わり、(そう、ジョン・レノンが『GOD』という曲で「The dream is over. 」と歌ったように)ささくれた現実が目の前に広がってゆき、それに呼応する形でロックというのは暗く重くなっていったと思うんだよ。そしてオレがよく聴いていたロックと言うのは70年代以降、そんな、暗く重く内省的になっていった音楽を指す言葉だったんだ。

■ああ こんな気持ち うまく言えたことがない

だから、時代背景的に言ってしまえば、ロックを巡る幸福な時代の映画だったって事で納得するしかないんだけどさ。しかしそれと監督のリチャード・カーティスってぇのがオレちょと苦手だったというのもあったのかもな。リチャード・カーティス初監督作の『ラブ・アクチュアリー』、あれがオレ駄目でさ。観始めて5分で嫌になってDVD止めちまったよ。あのラブ&ハッピーで浮かれ過ぎで能天気な連中ばかりが出てくるオープニングでそれこそゲロ吐きそうになっちまったんだ。浮かれ過ぎで能天気な連中ばかり出てくるバカ映画なら大好きなんだがな。結局「幸福そうな人たち」を見せられるのが嫌だったんだろうな。その点バカ映画っていうのは本人たちがどんなに浮かれていようと結局は社会の上澄みみたいな負け犬ばかりが主人公だから、オレの心情にはフィットするのよ。ゴメンな卑屈なヤサグレ者で。ただ逆に言えばリチャード・カーティスのハッピーさを愛する人には極上の映画かもしれないけどね。

そんなだったから映画は中盤までちょっと居心地が悪かったのは確かだよ。セックス・ドラッグ・ロックンロールってヤツなのか、セックスが大いに開放的なのもちょっと面白くなかったのも認めるよ。でもドラッグが出てこないというのも嘘クセエ話だよな、とも思ったね。あと敵役である政府の役人というのもアホっぽく戯画化され過ぎててグダグダだったね。とは言いつつ、政府から海賊放送禁止令が出てからは、「えええ!?そういう話になっちゃうの!?」という息も付かせぬ怒涛の展開になっちゃうんですよ!いやスマン、この熱さってやっぱロックじゃないっすか!?そしてここまで危機的な状況でヘラズ口叩くのっていうのはハードボイルドな男の常套手段ですよ!そしてクライマックスのああああ書けないけどあれやこれはゼッタイ胸熱くさせ涙させること必至であります!やっぱヘニャチンじゃなかったんだなお前ら!オレが誤解していた!やっぱりロックンロール最高ってことで締め括っておくぜ!

■映画『パイレーツ・ロック』予告編