『G.I.ジョー』は特撮戦隊モノだった!?

G.I.ジョー (監督:スティーブン・ソマーズ 2009年アメリカ映画)


G.I.ジョー』である。ジョーといえば「叩け!叩け!叩け!」の明日のジョーでありサイボーグ009の島村ジョーでありガッチャマンコンドルのジョーでありおそ松くんに出てくる「ハタ坊だじょ〜」のじょ〜なのである。即ちヒーローとしての資質を兼ね備えたキャラに付けられる名前、それがジョーなのである。
一方「G.I.」とは何かというとこれは「government issue(官給品)」の略であり第二次世界大戦時に潤沢な官給装備品と共に戦うアメリカ軍兵士の俗称であるとググルさんちのウィキちゃんが答えてくれたのである。要するに「G.I.」とは「ガッポリ(Gappori)ある武器弾薬で、イテこましたる(Itekomasitaru)で屑ども!」の略であるという事も出来よう。つまり『G.I.ジョー』とは、金にモノ言わせて雨あられと弾薬を降らせる我らがヒーロー、という意味なのである。
とまあ以上は冗談であるが、この『G.I.ジョー』、同じくオモチャを題材にして映画化した『トランスフォーマー』と比べると、オコチャマ度合いが強すぎて、観ていてちょっと居心地が悪かった。まあオコチャマ映画といえば『トランスフォーマー』もどっこいどっこいなのだが、『トランスフォーマー』がエッチな本をベッドの下に隠し持っている中学生レベルのメンタリティの元に作られているとすれば、『G.I.ジョー』は泥団子を作ってるうちに自分も泥団子になってしまってギャハハギャハハと笑い転げている小学生レベルの無邪気さで成り立っているといえるだろう。
お話は説明の必要すらいらないと思うんだが、取り合えず世界征服を企む悪の組織、その名も《コブラ》(ネーミングがもう…)と、世界の平和の為に集められた正義の部隊、《G.I.ジョー》とが出てくるんですね。で、世界を破滅に導くナノマシン兵器を奪った《コブラ》と、それを追う《G.I.ジョー》とが、モノスゴイ未来な発明兵器を駆使して戦いあう!というもんなんですね!なんか仮面ライダーとかゴレンジャーとかの日本の特撮戦隊モノのノリですね!逆に言えばそういう戦隊モノのノリを「それってもうガキ臭くね?」と思えるようだったらこの『G.I.ジョー』はダメでしょう。
なにしろ北極海の海底に敵の巨大秘密基地があるんだよ!スッゲーッ!北極海の海底にどうやって作ったんだ、なんて考えちゃいけないんだよ!そしてG.I.ジョーの巨大秘密基地は砂漠の地下にあるんだ!スッゲーッ!砂漠の地下にどうやって(略)!だいたいG.I.ジョーの国際秘密部隊って、そもそも何と戦う為に作られたんだ?なんて考えちゃ(略)!物語の発端であるナノマシン兵器は、ワルモンが平和利用と偽ってNATOに作らせ、それをトンビに油揚よろしく掠め取る、というもんなんだけど、あんな巨大基地作れる資本と技術力あんならそんな回りくどい事しないで自分のとこでさっさと作っちゃえばよかったじゃん?なんて言っちゃ(略)!だって小学生の夢なんだからしょーがないでしょ!
さらに敵も味方も実は元カノ元カレ元仲間など、お互いよく知ったもの同士が入り混じって争いあっているという、世界規模に見えて実に狭くてちっちゃい人間関係で成り立ってるんだよな。なんかこう相関図に因縁めいたものを持ち込んで物語を膨らませようとしたんだろうけど、ちょっと安易過ぎなんじゃないか!?しかしこの辺の設定やあまりに漫画漫画したキャラ造型は、物語の元になっているTVアニメシリーズを引き継いでしまった結果なのかもしれないな。レーティングを下げ、さらに元のアニメのファンも呼び込むという目論見だったんだろうけど、かえってお話を陳腐にしちゃったんじゃないかなー。
監督のスティーブン・ソマーズは『ハムナプトラ』や『ヴァン・ヘルシング』撮った人で、オレはこの大味で大雑把で派手なCG頼りの2作品は実はとても大好きなんだが、この2作品が嫌いな人はこの『G.I.ジョー』もダメだろな。相変わらず大味で大雑把だったし!そう言いつつ、パリを舞台にした、ナノマシン兵器を奪った敵と、それを追う強化服を着込んだG.I.ジョー軍団の追跡劇はスピード感がありとても見応え十分だった。ここのCG描写は冴えていたんじゃないかな。まあ車で逃げる敵を強化服とはいえわざわざ走って追いかけるというのもかなり馬鹿馬鹿しいけどね!そんな科学力あんなら空からでも追っかけられるマシン開発できたんじゃないの?なんて言っちゃ(略)!

G.I.ジョー予告編