「わしたちに明日はないんじゃっ!」合計年齢151歳の夫婦強盗!〜映画『人生に乾杯!』

■人生に乾杯! (監督:ガーボル・ロホニ 2007年ハンガリー映画)

■わしたちに明日はないんじゃっ!

81歳の爺さんと70歳の婆さんが「わしたちに明日はないんじゃっ!」とばかりに手に手をとって銀行強盗しまくる映画だ!合計年齢151歳!拳銃握って夫唱婦随!アメリカ大恐慌時代のカップル強盗、ボニーとクライドの生涯を映画化した作品名は『俺たちに明日はない』だったが、この爺婆強盗は齢も齢だけにマジ明日が無い!

クソみたいな政治家は年寄りに優しくない政治ばかりぶっこいてまともに年金もよこしゃしないし、こちとら累の及ぶ子供も親戚もいないわけだし、女房も自分も体はガタガタ、どうせこのまま生きてたっていいことなんか何も無い!どうせお呼びも近いんだからここはドカンと人生最後のでっかい花火上げようぜ!?さあハジけるんだ!盗るもんしっかり奪い取り、ガハハと笑ってあの世に行こう!わしたちの人生に乾杯!…というパンクな爺婆が主人公の映画、それがこの『人生に乾杯!』なんだぜ!?

アナーキー・イン・ハンガリー

…さてこうは書いてみたものの、この映画、犯罪映画に全然見えないから不思議である。貧しさから止むに止まれずイケナイことをしてしまったお年寄り、といった物語ではあるが、それはこの映画の製作国であるハンガリーの社会的状況もあるのだろう。舞台になったハンガリーは第2次大戦後ソ連に占領され、ソ連の衛星国として共産主義体制の下にあったが、1989年に民主主義国家となった。だが根深く残る官僚主義と資本主義経済移行の遅れからその経済状態は決して良好のものとはいえないらしく、この映画でも携帯電話さえ出てこなければ現代の物語とは思えないような貧しく古色蒼然とした町並みや人々の姿を垣間見ることができる。

その行政のダメさは、強盗を犯した二人を追う警官たちのグダグダぶりからも伝わってくるし、その貧しさは、その警官たちがいつも安っぽいジャージやジーンズばかり身に着けていることからも伺える。体制側の末端がコレだから上のほうも推して知るべしである。だから映画の主人公である老人夫婦は、年金支給さえまともにできないダメな国家体制に耐え兼ねて銀行強盗を起こしたともいえるんだけれども、しかし犯罪映画によくあるようなギラギラとした殺伐さや腹に据えかねるような不満や不幸の先にある暴発、みたいなものがそこには皆無なのである。貧窮から巻き起こった騒動とはいえ、悲惨さ暗さは微塵も無い。むしろお上のやる事なんざ当てになんかできないから自分のことは自分でやってしまおう、という逞しさまで感じてしまう。

■年寄りだってやるときゃやるんじゃ!

じゃあ犯罪映画じゃなくてなんの映画かというとやっぱりこれは老人が人生の最後の締めくくりを巡って冒険をする人間ドラマなんだろうな、と思う。クリント・イーストウッド主演で今年公開された名作『グラン・トリノ』が犯罪映画ではなくれっきとした人間ドラマだったようにだ。あの映画も老境を迎え死を間近にした老人が人生の締めくくりとして人としての尊厳を示そうとする映画だった。そしてこの『人生に乾杯!』は、一組の夫婦が「わしらの人生ってなんだったんじゃろう?」とお互いをもう一度見つめあい、人生が決してみじめなだけのものじゃなかった、と確認しようとする物語だったんじゃないのか。それは冒頭の、若かりし頃の二人の出会い、そしてクライマックスの、二人が出会うきっかけとなったダイヤのイヤリングを巡るシークエンスからもわかるだろう。逃避行の果てが、幼くして亡くなった自らの息子の墓のそばだった、というのも、この夫婦がもう一度人生を追体験しようとしていたように見えて感慨深い。

先に挙げた『グラン・トリノ』もそうだったけれども、そういえば今年の春に観た『ホルテンさんのはじめての冒険』(オレの書いたレビューはここで)も、老人があることをきっかけに自分の人生を見つめ直す物語だった。人はどうしたって老いる運命にあり、そして死ぬまでは老いたまま生き永らえなければならない。若かりし頃の瑞々しい情動や輝きはとうに失せ、頭も体も言うことを聞かず、世間には置いてけぼりにされる。そこにはただ生きているという以外に何も無いみじめさだけが残るような人生だけが待っているのだろうか。経験を積み重ね豊かな知見を得、充実へと結実するように見えて、老いというのはやはり残酷なものだ。そんななかで人はどう人生の意味を見つけようとするのか。映画『人生に乾杯!』はそういった、必ず老いてゆく人というものの行く末を考えていこうとする作品のひとつなのだろう。しかし銀行強盗までしちゃってるのになんだかほのぼのとして可愛い年寄りたちを描いたコメディ映画なのだ。そうか、これが年寄りの余裕ってヤツなのか。

■『人生に乾杯!』予告編