セクシャル・マイノリティの為に戦ったゲイ活動家ハーヴェイ・ミルクの生涯 

■ミルク (監督:ガス・ヴァン・サント 2008年アメリカ映画)

■"カストロ通りの市長"

アメリカで史上初めてゲイであることを公言して公職に就き、マイノリティの権利の為に戦いながら、志半ばにして凶弾に倒れた男、ハーヴェイ・ミルク(享年48歳)。この映画「ミルク」はその彼の半生を描いたドラマである。

ガス・ヴァン・サントらしい柔らかな色彩と光線で構成された映像が、センセーショナルになりがちなテーマを繊細に表現することに成功している映画だ。そしてなにしろ、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞したショーン・ペンの演技が素晴らしい。ハーヴィー・ミルク自身のことは何も知らないにも係わらず、ハーヴェイ・ミルクとはまさにこういう仕草や会話の仕方をする人だったのだろうと思わせる説得力のこもった熱演振りだ。ゲイならではの振舞い方も実に自然で、さらにその笑顔の見せ方が美しく、とてもチャーミングなのだ。ハーヴェイ・ミルクも、きっとこういう笑顔を見せる人だったのに違いない。

■「その時は暴動を起こそう」

ゲイ差別や政治的な問題以前に、それまで虐げられてきたものが団結し、ギリギリの場所から自らの存在を訴える場面というのは単純に高揚感を覚えてしまう。この映画でもデモ・シーンのアジテーションシュプレヒコールに奇妙に感じ入ってしまった。それは自分の中のどこかに自分はどちらかというならマジョリティよりもマイノリティの側であるだろうという漠然とした思いがあるからなのかもしれない。ゲイ差別を公認する「条例6」を巡る戦いの中で、「もしこの法案が通ってしまったら?」と弱気になる仲間に「その時は暴動を起こそう」と告げるミルク。ミルクにとってこれは生死を賭けた戦いだったのだ。だから狙撃予告の書かれた脅迫状を読まされても、飄々としながら演説台に上ったのだろう。そこでミルクは、脅迫に屈するよりも人として尊厳を持って死ぬほうを選んだのだろう。

一方、ゲイの存在を認めさせる為に仲間に対しカミングアウトを強要しようとするミルクの姿にはおそろしく強権的なものを感じた。善し悪しは別としても、彼にとってこの戦いはそれほど熾烈なものだったのだろう。逆に、マイノリティ差別はあったとしても、自らの権利を主張し、団結を訴え、それを社会全体に伝え認めてもらおうと尽力する様は、実にアメリカらしい民主主義の姿だという気もした。ただ、一歩引くなら、権力構造に対抗する為にもうひとつの権力構造を作る、という図式がどうもオレは苦手だったりする。だから映画「ミルク」の中のアジテーションとデモ行進に胸を高鳴らせつつも、オレ自身の中にはこういった集団の力を信用していない部分がどこかにある。

ハーヴェイ・ミルクの功績

差別問題にしても、自分がいつか何かの理由である種の社会的少数者になってしまうということは在り得るのだ、ということをちょっとでも想像することが出来るなら、もっと無くなるような気もするのだ。しかし他者を差別することによってしか己の立場を確認できないという人間がいることも確かだ。そして自分が差別されることを恐れるがあまりスケープゴートの如く他者を差別して安心を得るものもいるのだろう。ホームレスへの暴力事件記事などを見ているとそんな気がしてくる。

アメリカにおけるゲイの人権がハーヴェイ・ミルクの活動もあって認められるようになり、その後ゲイの蜜月時代とも言えるようなゲイ文化が隆盛を極めたが、それに水を差したのがエイズの流行である。多くの一般人と合わせ、非常に優れた才能を持つゲイ・アーチストもこの時期に多数亡くなられている。エイズがアメリカで流行しはじめたと見られるのが70年代末から80年代。この時期にミルクが生きていたら、これほどまでに多くの犠牲者が出ることを防ぐことが出来たかもしれず、また、数々の才能が費え去ることも無かっただろうと想像すると、それらアーチストに強いシンパシーを感じていた一個人としても悔しい思いが残る。

■Harvey Milk's Last Words

ミルクの葬儀の晩に何千人もの人が参加したキャンドルライト行進の様子が納められた映像がある。このビデオには、「自分の暗殺による死の場合のみ再生すべし」とされたミルク自身のメッセージ音声も含まれている。

■MILK Trailer