3つの願い

「こんなもんで願い事が叶う?どっかの糞宗教にでもかぶれたのかあの馬鹿?」
俺はさっきまで部屋にいたかつての大学の知り合いの残していったものに眼を落しながらそう呟いた。その知り合いは文化人類学のフィールドワークとして環太平洋の島々を巡り、ボルネオの奥地でこれを見つけたのだという。それは黒く縮んだ猿の手のミイラだった。
彼が言うには、これは"3つの願い"を叶える呪術的アイテムであり、その効果は絶対的であるという。俺はもちろんそんな戯言を信用するほど能天気ではない。そもそも、これを持って"3つの願い"を叶えたとかいうその彼が、殆ど浮浪者然とした格好で俺の元を訪ねてきたことが全てを証明している。
「で、お前はどんな願い事を叶えたんだ?」俺はからかうように彼に訊いた。「…君も叶えてみれば分かることさ」そう答える彼の目付きは黒々とした孔のように虚ろだった。薄気味悪いものを感じた俺は、適当なことを言い含めて彼を部屋から追い出した。行く所がない、などとぼやいている彼に幾らかの金を握らせて。
そうしてその"呪術的アイテム"なるものが今俺の手の中にあるという訳だ。「ふうん。じゃああれだ、可愛い女の子でも空から降らしてみろっつーの」俺は昔見たガキ向けのアニメの光景を思い浮かべながら冗談任せにそう言ったのだ。
その時、手の中の猿の手のミイラが、寝返りでも打つように、ピクッと蠢いたのだ。「うわ!」俺は仰天してその猿の手を放り出した。「なんだこりゃ?」いや、きっと気のせいだ。あの男の尋常じゃない態度に、知らないうちに感染してしまっただけに決まっている。下らない話に感化された自分に腹を立てながら、そう思おうとした。すると。
外から妙な音が響き始めた。
ドーン。
ドーン。ドーン。
ドーン。ドーン。ドーン。
何かが地べたを叩くような音がしている。ひっきりなしに。遠く近く。あちこちで。
俺は嫌な予感を感じつつ窓に駆け寄った。そして俺は見た。空から沢山の黒い粒が降ってきている。それはよく見ると人の形をしており、くるくると体をひるがえしながら、吸い込まれるように地べたに落下してゆく。地べたを叩くような音は、空から降った人間たちが、地面と衝突する音だったのだ。
俺は窓の傍で凍りついたように立ち尽くした。まさか。まさか。まさか。
そして今まさに、窓のすぐ傍を落下してゆく人影と、俺は目を合わせてしまった。それは、断末魔の、絶叫をあげる、少女の、恐怖に凍りついた、顔だった。
「うわあああああああ!!」
俺は叫んだ。
「止めてくれ止めてくれ止めてくれ止めてくれ止めてくれ!女の子を空から降らせないでくれえええええええ!!!」
床に這いつくばり、転がっていた猿の手のミイラを再び握りしめ、俺は叫び続けた。
「頼む頼む頼むからお願いだからお願いだから止めてくれ止めてくれ止めてくれええええ!!」
猿の手が、俺の掌の中で、再び、ピクリッ、と蠢いた。
すると、外の落下音がぴたりと止んだ。
震えながらしばらくうずくまっていた俺はゆるゆると立ちあがった。外からは今度は救急車と思われるサイレンの音が慌ただしく響き始めていた。
「チクショウ…チクショウ…チクショウ…」
誰につくでもなく悪態をつきながら、俺は恐る恐る表へと出た。
街は地獄へと変わっていた。年若い少女が通りのあちこちに有り得ない四肢の位置をさせながら血まみれで横たわり絶命していた。外にいた人々は呆然と立ち尽くし、あるいはあまりのことにくずおれて泣きじゃくり、あるいは既に無意味であろう救命措置をとろうとして躍起になっていた。
「…俺のせいだ…俺のせいなんだ…みんな俺のせいなんだ…」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら俺は少女たちの骸が埋め尽くす血で染まった街を歩いた。
その時俺は気づいた。猿の手へのお願いは3つ。今、2つの願いを俺はした。最後の1つが残されているはずだ。
ふと手の中を見ると俺はまだ猿の手を持ったままだった。俺は神にも祈るような気持ちで猿の手に祈った。
「お願いです…みんなを…空から降ってきた女の子たちを…生き返らせてください…お願いします…」
猿の手を両手できつく握り締め目をつぶりながら強く強くそう願った。
これまでと同じように、猿の手が、ピクリ、と蠢いた。
あ…願いが聞き入れられたのか…俺は一抹の希望に胸をときめかせ、街中へと顔をあげた。
通りのあちこちにはいまだ少女たちの骸が倒れているだけだった。…いや。よく見ると倒れていた少女たちが、ピクリ、ピクリと動き始めているではないか。
そして、少女たちは、ゆっくり立ち上がり始めた。
潰れた顔、骨が折れぐにゃぐにゃになった手足、はみ出した腸を引きずりながら。
人ではない、人の真似をしている"何か"のように、少女たちは這いずり出し、そして、この俺のほうを目指して、ゆっくりと進んでくる。
何十人もの、かつては可憐であっただろう少女の、血まみれの崩れた顔が、俺のほうを向いて、かつて目鼻があった位置を歪ませた。
彼女たちは、俺に微笑んだのだ。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
俺は絶叫した。絶叫し続けた。正気のタガは、既に外れていた。

※【降臨賞】参加作品 

【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説・漫画を募集します。条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。