オレとバカ映画〜「アホアホ・コメディ映画10連発!」まとめ

ホラー映画を観なくなった。ホラー映画の持つ恐怖や、不安感や、不快感に興味が無くなったのだ。ホラーが喚起するこれらの感情は、微細ではあるにせよ日常的に偏在するものであり、これを増幅し誇張し表現することでカタルシスを与え、観客の心理に浄化作用を促すのがホラーのひとつの役割なのだろう。逆に言えば、日常の生活に恐怖や、不安感や、不快感が存在しなければ、ホラーという表現は必要無くなってしまう。「ホラーなんてあんな気持ち悪いもの」などと唾棄する大概の人たちというのは、日常に充足する部分が多いから、そういったカタルシスが必要無い人たちなのかもしれない。
何が言いたいかというと、どうもこのオレも最近、ホラー映画的なカタルシスを必要としない生活になってきているようなのだ。全く不安が無いとかそういうことは無いだろうが、キッツイ表現に接してワクワクするようなことが無くなって来た。歳を取ったせいもあるだろう。しかしそんなオレが日々平和で幸福な毎日を送っているかというとそういうことではない。単に、毎日、ボケーッと、エヘラエヘラと、グダグダと、ヘニョヘニョと、しているだけなのである。オレはすっかりおバカに、クルクルパーになってしまったのである。このアホアホ具合には、認知症の前段階さえ疑っているぐらいだ。
基本的にオレは、世の中のことも、人の議論していることも、これっぽっちも興味が無い人間だ。自分の手の及ばないことを心配してもどうしようもないと思っているし、ましてそれに心痛めたり不安になるのは無駄だと感じてしまうのだ。きっと思いやりの欠片もない人間なのだろう。他人の議論も同様だ。いろんなものの考え方感じ方もあるだろうが、そもそも自分と無関係な人間が考えたことや感じたことにいちいち疑問や反論を唱えることにひとつの意義も感じない。要は、現実的に自分自身の生活に影響を及ぼすものでない限り、興味が沸かないようなのだ。いや、正確に言うなら、係わったとしても自己満足で終わるものでしかないそれらにかまけて無駄な時間を費やしたくない、ということなのだ。
そんなオレの貴重な時間は何に費やされているというのか。それはお気楽に生きることである。毎日、ボケーッと、エヘラエヘラと、グダグダと、ヘニョヘニョと生きるために、死に物狂いでおバカに、クルクルパーに、アホアホに徹しているのである。オレのバカを、お気楽を、何者も侵す事は出来ない。そんなもん誰も侵そうなどと思わないだろうが。そして、その為のバカ映画であり、アホアホ映画なのだ。バカでい続けたい。アホアホを貫き通したい。だからオレはバカ映画を、アホアホ映画を観続ける。勝手にすれば、という声が聞こえないでもないが、いいのである。何も意になど介してやるものか。だっておバカなんだもん(はぁと)!