ザ・ロード / コーマック・マッカーシー

ザ・ロード

ザ・ロード

核戦争か破滅的災害により滅亡に瀕している近未来。高空まで上った灰と煙は日光を遮り、植物という植物は枯れ、暗く厚い雲に覆われて陽の射さない大地は、急激に寒冷化して行った。文明は消え去り、獣のように心を失った人々は互いに奪い合い、殺し合い、その肉を喰らい合った。そして雪ばかり降り続く世界には死と沈黙だけが残った。主人公は一人の男とその幼い息子。彼らは、どこまでも凍えてゆく土地を捨て、まだ暖気が残っているはずの南を目指して歩き出していた…。映画「ノーカントリー」の原作者、コーマック・マッカーシーの最新作。2007年度ピューリッツァー賞受賞。

最初に書いてしまうと、実に陰気で辛気臭く、そして退屈な物語だった。焼け焦げた黒い大地と灰色の空ばかりが果てしなく広がる世界を、ひたすら父子が歩いてゆくだけなのだ。そこにはドラマらしいドラマも存在せず、ただ延々と陰鬱な光景が描写されるだけだ。飢餓や略奪の恐怖や、そこかしこに転がる死体や死を待つばかりの不具者、亡霊のように現れては消える殺戮者、取り残された町と枯死した草木と死に絶えた動物、これら荒廃と腐敗と残骸と廃墟とが繰り返し繰り返し描かれているだけなのだ。

父親はもはや息子以外誰も信じない。人目に触れぬよう身を隠しながら歩き、見かけた人間には猜疑の目を向け、略奪者に死を与えることも厭わず、死に瀕した人間を助けることも無く、常に死に怯え、打ち捨てられた家に忍び込んでは食糧と衣服を漁るだけ。何かを生み出すことも、何かを育むことも考えはしない。自分と息子と、その生存以外に、父親の関心は何一つ存在しない。他者とは即ち敵であり死をもたらす者であり、仲間を募ろうとか、協力できる人間を探すとかいうことは、一切有り得ないし考えることもない。死ばかりが支配するこの世界で、生あるものが抱く心情はたった一つ、”不信”だけなのである。

この”不信”とは、実は現代のこの世界と社会とを圧倒的に覆う感情の一つに他ならないのだろう。作者は滅亡した世界を通して、現代社会に死霊のように取り付く”不信”とそれが生み出す暗く破滅的な虚無とを描き出そうとしていたのだろう。しかし欧米白人が往々にして辿り着きやすいこの陰気な思考のあり方が、オレには辛気臭くてたまらなかった。ここで描かれる滅亡した世界とは、とどのつまり聖書における黙示録の世界であり、その宗教観から一歩も出ていないと言う意味で、この物語は実に退屈なものにオレは思えたのだ。

この作者がアメリカ現代文学において最も重要な作家と言われ、あまつさえこんな作品がピューリッツァー賞をとるというのは、言ってみればこれが欧米知識人の知的限界でしかないということもできるわけで、この程度のフィクションを有り難がると言うのも、多分性格が暗い連中ばかりだからなんだろうなァ、あーもうだから文学ってヤツァつまんねえんだよなあ、などと憎まれ口の一つも叩きたくなってくると云うものである。死の影に首うなだれて神の名や神の不在を唱えているだけでは何も始まりゃしないんだよ!生き残りたいんならうつむいてないで戦え!罵声の一つも上げてみろ!タフに生きろ!話はそれからだ!

…と威勢のいい能書きだけは一丁前にほざく実はヘタレのオレなのであった。