潜水服は蝶の夢を見る (監督:ジュリアン・シュナーベル 2007年フランス・アメリカ映画 )

脳梗塞から左目しか動かせなくなった男が、カウントされた文字にまばたきで答える形で自伝を書き上げてしまった、と云う実話を基にした物語である。気の遠くなるような、という気もするが、本人にはまばたき以外出来ることがないので、あとは執念だけということなんだろう。まあフランス人ってしつこそうだしな(偏見)。

主人公が雑誌の編集長であったということから、表現する、ということへのモチベーションも一般人よりも高かったのに違いない。表現したいものがあるのなら、まばたきの100万回だって厭わなかったんだろう。それよりも考えたのは、一見人間賛歌のように見えるこの映画、個室の病室で療養士がべったり付いて、まばたき自伝まで書き留めてくれるって、いったいどんだけの医療費が掛かってるんだ?ということである。

フランスの保険医療制度やその金額を知っているわけではないけれど、ここまで至れり尽くせりだとそれなりの医療費は掛かってるんだろうなあ、やっぱ有名雑誌の編集長だったわけだし、こんな介護サービスに支出できるほどの資産はあったんだろうなあ、ってえことは、主人公がオカネモチだったからこそ可能だった物語だったんじゃないのかなあ、などと、ひたすら貧乏人のやっかみのようなことを考えてしまったオレである。

あと、まばたき記述による自伝、ってことだけど、これがアメリカだったらすぐコンピューターが出てきたりするんだろうなあ、眼球の動きだけで文字を選別できる装置なんか作られちゃって、それ使って本もガンガン出しちゃって、で、私は逆境にもメゲず人生に勝利した!テクノロジー万歳!アメリカ万歳!なんて言いながら主人公はロボットみたいな機械に入ったまま100歳まで生きちゃうんだろうなあ、などと映画と全然関係ないどうでもいいことを妄想してしまった。

実際のところ、主人公の男は自伝を書き上げた10日後に亡くなったのだという。ある意味、病後から自伝を書き上げるまでのその期間は、男にとって、家族に対する長いお別れ、ということだったのかもしれない。その余禄ともいえる期間は、家族の負担にさえならなければ、贈り物といってもいいものだったのだろう。

しかしもっと一般的にあるであろう「そうでない場合」では…ううむ、もしも自分が、なんて考えると陰々滅々とするからんまり考えたくないことだなあ…。