涅槃の音響 エフェックス・ツイン《セレクテッド・アンビエント・ワークス Vol.2》

Vol. 2-Selected Ambient Works

Vol. 2-Selected Ambient Works

とある休みの日の朝、習慣的に早く目覚めるオレは「あー今日はなーんも予定が無いからこのままウダウダ惰眠を貪っていてもいいんだなあ」とふと思い、そのまま布団の中でウダウダする事に決めたのである。オレは基本的に寝覚めが良く、どんなに夜更かししていても深酒していても、とりあえず起きなければならない時間には起きる事ができる。まあ一人暮らしも長いんでな。
逆に言うと、眠らなければならないから眠る、眠たくなったから眠る、のであって、寝るのが好きというのは全く無いのだ。布団に中にいてヌクヌク気持ち良い、いつまでも眠っていたい、といった睡眠の快楽がオレの中では存在していないのである。むしろ眠らなければいいのならずっと眠らないでいたい、眠りなんか邪魔だ、などと極端なことを思ってしまうような人間だ。そんな人間がウダウダしたい、なんて思ってしまったのはいつにも増して前日深酒していたからだ。ただもう一度寝る前に、これも習慣的にパソコンをつけ、特に理由も無くiTuneでエフェックス・ツインの《Selected Ambient Works Vol.2》を流したのである。
エフェックス・ツインとはリチャード・ジェームスという男の一人ユニットなのだが、彼はテクノの世界でも鬼才中の鬼才であり、その孤高の音は「テクノ界のモーツァルト」とまで言われているほどである。体中の皮膚が切れそうなエッジの利いた金属音と、洞窟の中に迷い込んだかのような異様にリヴァーブの掛かったビートはもはや異世界の音。狂気と稚気の狭間に揺れるその音はまさに唯一無二、彼にしか生み出せない驚くほど純度が高く個性的な音世界を形作っているのだ。彼のこの作品《Selected Ambient Works Vol.2》は、CD2枚に渡って繰り広げられるノン・ビートの《涅槃の音響》なのである。
《涅槃の音響》。それは明るくも暗くも無い。暖かくも冷たくも無い。美しくも醜くも無い。快くも不快でも無い。酩酊も覚醒も無い。高揚も憂鬱も無い。色彩も形も無い。希望も絶望も無い。ただ、あるのは、”静寂さ”のみ。肉体と精神の、人間であることの衣を捨てる彼岸の岸辺に迷い込み、そこに立ち尽くしてふと空を見上げた時に、どこからともなく聴こえるような音楽。頭で分かる音楽でも心で感じるような音楽でもない。ただそれは”音”であり”響き”である、としか言いようの無い音楽。まさに音楽の極北。
オレはこのCDを発売日に買ったけれど、その掴み所の無い音に途方に暮れ、それでもたまに引っ張り出してスピーカーから流していたけれど、「これはなんなのか?」という自分の中での位置付けも出来ないまま、頭の中の判断保留の箱に永らく突っ込んでいたのだ。だがこの日、半ばうとうととまどろみながら聴くとも無く耳に入り、鼓膜を微弱に震わせるこの音のその響きに、ふっと自分がフィットしたのを感じた。しかも、今まで聴こえていなかった音までもが聴こえてくるではないか。頭が空っぽの状態の、自分が誰であり何であるかという意識から遠い場所で、この”音”は突然”音楽”として響き始めたのである。
この恐ろしくニュートラルな音は、多分自分自身もがニュートラルでなければ聴こえてこない音だったのだ。まるで化学反応のようなこの体験を再び味わえるのかどうかは分からないけれど、何かとても奇妙で貴重な体験だったという気はした。