終わりの街の終わり / ケヴィン・ブロックマイヤー

この長編小説『終わりの街の終わり』は、SF3割・文学6割、あとスピリチュアル系1割な感じの小説です。物語の世界観はちょっと独特です。死後、人の魂は”街”という場所で生活します。その町に住んでいる魂は、生者の世界で生きている人の記憶に残っている人だから、そこで生活できるんです。そして生者の世界にその死者のことを記憶している人がいなくなってしまうと、その魂は”街”から消え去り、本当の死を迎えます。つまり世界は、生者の生きる世界、生者の記憶にある死者たちの生活する世界、そして真の死の世界の三つがあるとされているんです。これはアフリカに伝わる伝承を元にしているのだそうです。

そしてある日、生者の世界で、《まばたき》と呼ばれる致死率100%の疫病が猛威を振るい、世界は絶滅してしまうんです。ただ一人、南極観測基地に生き残った女性、ローラを除いては。彼女は最初、通信の途絶えた南極の奥地に居たために、世界が滅んだことを知りません。そして、先行して救助を求めに出かけた仲間を追って、一人南極の地を横断することを決めるのです。一方、”死者の街”では、人類が滅んだせいで”死者を記憶する人”が存在しなくなり、地上に生きるローラただ一人の記憶の中にいる人々(死者)だけが住む街となってしまいます。物語は、この、人類最後の生き残りとなった女性・ローラの、過酷な南極の自然の中での生死を賭けたサバイバルと、彼女の記憶の中に存在した人々だけが暮らす死者たちの街とが交互に語られていきます。

”死者の住む街”、つまり”死後の世界”というスピリチュアル系な設定になんとなく白けて、最初本を放り出しそうになりましたが、読み始めてみるとこれが意外に読ませるんです。”死後の世界”とはいいながら、一般に知られているような宗教性を思わせるようなものが皆無だったからでしょう。そしてこれは何かに似ているな、と考えてみたら、コニー・ウィリスの傑作長編『航路』なんですね。コニー・ウィリスの『航路』は、臨死体験を研究する認知心理学者の、擬似臨死体験実験中に観る”どこかで見たような”不可思議な光景と、現実世界で巻き起こる事件とをオーバーラップさせながら、ラストに《生》と《死》を巡る驚くべきドラマが用意された感動作で、誰にでも薦められる名作です。この作品でも”臨死体験””死後の世界”などという、ちょっと胡散臭げなモチーフを題材にとりながら、それらの言葉から連想されるような宗教臭さを抜き取り、ミステリアスな伏線と想像力豊かな謎解きを用意した優れたエンターティメント小説として完成しているんですね。まあぶっちゃけ、今回のケヴィン・ブロックマイヤーよりもこの小説を読んでもらいたいぐらいですが、あくまでフィクショナルな”死後の世界”と現実世界を対比させた部分で似ているなあ、と思ったんです。

ではこの作品で”死後の世界の街”を用意することでケヴィン・ブロックマイヤーは何を訴えようとしたのでしょう。勿論そういった世界が本当にある、あるかもしれない、などと言っているわけではありません。最初に書いた通り、この”死者の街”は生者の記憶に残されている人々の街です。見方を変えるならば、死んでいるいないに係わらず、人の記憶の中に、このような自分と係わった人々が住む”街”のようなものが、あるいは”世界”のようなものが、存在している、あるいは存在していたら、という空想を働かせてみたものがこの作品なのではないか。そしてそこに世界の滅亡という極端な状況を作り出すことにより、”たった一人の人間の記憶の中にある、これまでその人間の係わった全ての人々の記憶の街”という架空世界を生み出したかったのではないか。

人が、一生とは言わないものの、例えば20年なり30年の人生で出会う人々の数というのはいったいどれくらいのものなのでしょう。この小説でも、死者の一人がその数を概算しようとします。知り合い、だけではなく、道ですれ違い、ちょっと記憶に残っているだけ人もそこには含まれます。それは数千人なのでしょうか。数万人なのでしょうか。記憶の表層に現れなくとも、脳の貯蔵庫に永遠に仕舞われてしまうものであっても、その数は膨大なものでしょう。そして、それら記憶野に貯蔵された人々が、自分が知ることなく一つの街に住んでいる、という想像は、なにか不思議なものがあります。そしてまた、それら係わった人々の幾ばくかは、善きにつけ悪しきにつけ”自分”という人格を形作る血肉のもととなった人々です。つまりそれらは、単なる記憶、ではなく、”自分”というものの一部でもあるんです。

そう考えると、”世界の終わり”を、自分と、自分の周りの世界と、そして自分の記憶世界とから描いたこの物語は、肉体の死ばかりではなく、記憶の死をも描写したという点で、非常に面白い試みをしたものなのかもしれません。作者は、現実の事象だけではなく、メンタルな部分での世界、というものに拘りたかったのでしょう。作中人物の造型にリアリティを与える細かな描写やエピソードの積み重ね、そしてその意識の流れを描く筆致もとても巧みです。この物語の読み所はそこにあると言っても良いかと思います。そういった点では実に文学の香りがします。難点を言えば、SFとして読んでしまうと捻りの無いそのまんまのラストにちょっと不満が残ってしまい、そういった物語性は弱かったかな、という気もします。