あなたになら言える秘密のこと (監督:イザベル・コイシェ 2005年スペイン映画)

あなたになら言える秘密のこと [DVD]

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デンマークの町工場で働くハンナ(サラ・ポーリー)はいつも寡黙に仕事をこなす寂しげな翳のある女だった。補聴器が無ければ聞こえない耳。時折メンタルクリニックに掛ける無言電話。何か心と体に傷を追っているらしい彼女は、ある日職場から暇を出され、北海沿岸の町へと旅に出る。そこで彼女は海底油田火災で看護婦を探しているという話を訊き、海上の掘削基地へと赴く。そこには火傷により絶対安静となっている男ジョゼフ(ティム・ロビンス)がおり、ハンナは彼の看護を受け持つ事になった。看護を通して次第に打ち解けてゆく二人ではあったが、ハンナは決して自らの過去に触れようとはしなかった。

タイトルや宣伝コピーなどからよくあるラブロマンスものかと思っていたら全くそうではなかった。むしろ感傷を廃し非常に乾いた叙情で見せる人間ドラマであった。看護をする者とされる者の一対一のドラマに終始することなく、二人を取り巻く海底油田職員達にもスポットを当てて彼らの人生の一部も垣間見せ、洋上に孤立した海底油田という特殊な社会の中での人間群像として観ても面白いのだ。事故により作業がストップした油田では、エアポケットのような空っぽのひと時が訪れ、その中で職員達は各々の孤独をまぎらわせている。世間と隔絶された環境の中でゆっくりと流れる時間は、そこが鋼鉄に囲まれた殺伐とした油田掘削所であることを忘れさせ、なにかサナトリウムと化したかのように穏やかな安らぎに満ちている。そしてあたかも魂の避難所のようなこの場所で、主人公ハンナの閉ざされた心が少しづつ解れていく。

主人公ハンナは強迫神経症を病み、頑ななまでに過去を語ろうとしない。しかし看護は献身的で、控え目だけれども人とのコミュニーケーションを拒むこともない。言葉が荒くがさつな男達を臆する事もない。彼女に”何か”が起こるまでは、きっとごく普通の、明るい青春時代を過ごした女性だったのだろう。このハンナを演じるサラ・ポーリーの抑えた演技が素晴らしい。無口で表情も乏しいのにも拘らず、じわじわと彼女の心の動きが観るものに伝わってくる。そして次第に物語の焦点は、ハンナが口を閉ざしている、「秘密のこと」へと向けられてゆく。ネタバレになるので特に書かないが、実はこの”秘密”について、観る前から漠然と予想が付いていて、やはりその通りだった。そして秘密が明らかになる事により、物語は突然社会的な様相を帯び始める。

ハンナの遭ったこの”事件”は、実際に現実社会で起こった事であり、物語の中でハンナが語るあまりにも恐ろしいその体験は、あの”事件”の中で現実に起こった事のひとつでもあるのだろう。あまりに重く情容赦の無いその事実に、観る者は深い衝撃を受けるに違いない。しかしそれまで描かれていた掘削所での奇妙に非現実的な時間と空間の描写の後では、どこまでも辛く生々しいこの告白は、映画の性格をいっぺんに変えてしまうことになる。例えばこの”事件”が、DVや家族の死や何がしかの事故であったとしても、この物語は実は成立してしまうという部分で、少々牽強付会なのではないかと思えてしまった。製作者はまさにこの”事件”にこそ目を向けてほしかったのだろうが、批評を挟む余地が無い現実の悲劇を持ち出すというのは、ひとつのフィクションを作り出す上で、もう少し描きようがあったのではないかという気がする。

だが、深く心に傷を負った者の、その癒しと再生のドラマであるという部分で、この物語が誰の心にも訴えかける普遍的なものであることに変わりは無い。この物語では、ハンナのみならず、彼女が看護するジョセフも、実は心に大きな傷を持つ存在であり、それがこの火災事故自体にも深い影を落としていることが描かれる。そしてこのジョセフが、そういった痛みを知る人間だからこそ、ハンナが抱える「秘密」にも、敏感だったのだろう。それは同情ではない。共感だ。人の心の傷に敏感な人間は、自らも同じような傷を抱えているものなのだ。そんな相手を、慰めたくもなり、いとおしくも思うのは、それは、そこに自分の影を見るからなのだと、オレなんかは思う。以前オレは、心に沢山の悩みを抱える女性を好きになったことがあって、他人には、「同情と愛情は違うんだよ」と知った事を言われ、ふざけんな、そんなんじゃねえ、と憤慨したことを思い出したが、オレはあの時、彼女を救いたかったのと同時に、きっと、この自分をも救いたかったのに違いない。

映画はこのように重い現実を描きながらも、ラストはラブロマンスとしてもきちんとまとまっている。何しろ物語終盤でジョゼフがハンナを引き止める為に呟いたあの言葉、オレはあそこで遂にハラハラと涙してしまった。イデオロギッシュな部分よりも、あの一言を用意する為にこの映画があったのだとオレには思えてならない。名作です。