ヒエロニムス・ボスのでかい画集買った

Hieronymus Bosch

Hieronymus Bosch

なんだか矢も盾も堪らずヒエロニムス・ボスの絵を見たくなり、全作品を網羅したという画集《Hieronymus Bosch》を購入。これがまた大きさ重さともとんでもないボリュームの本で、画集だというのに途中でお腹一杯になり一回で全部見切ることが出来なかったという内容の濃さだった。ボスの絵に細かに描かれた様々な人や生物や怪しげな風景などを目で追っていると、何か迷路を彷徨っているようで、一枚の絵だというのにいつまで経っても見終わることができなくなってしまう。いやこれ一生モンだわ。死んだ時棺桶に一緒に入れて欲しいものと言ったらまずこの画集を挙げちゃうかも。この本一冊と虫眼鏡があれば一日潰せるね。なんなのこの虫みたいな妖精みたいな悪魔みたいなちっこい連中は?なんて考えながらね。なにしろ凄くて、そして尽きることない不思議を醸し出す絵。漫画家の大友克洋三浦健太郎の作品にもモチーフが流用されている部分を見つけることが出来るけれど、彼らに限らずも沢山のアーチストにボスは影響を与えているんだろうね。そんな部分を探し出すのも楽しかったりするね。

ボスの作品は基本的に宗教画なんだけど、最も有名な作品といえば《快楽の園》になるだろうか。特にその一部分である《地獄》の、奇怪な生き物達に満たされた絵を見た事がある人は多いんじゃないかな。この《快楽の園》は「三連祭壇画」と言って三つのパネルに書かれたものなんだが、これは中央の絵を中心にして左右が観音開きになるように作ってある。そして通常閉じられた形で祭壇に置かれいつもは見ることは出来ないが、教会や聖堂などで礼拝があった時だけに開かれて、集まった人たちに披露できるようになっていた。つまり「三連祭壇画」というのは”特別な時だけに見られる”からこそそれを見せるときには信者に驚きと畏敬を与えるという効果があったんだ。この《快楽の園》もパネルを閉じた状態ではその裏側に《天地創造》が描かれており、これを開くと《天国》《現世》《地獄》という三つのモチーフを見ることが出来るようになっている。あの《フランダースの犬》で最後に主人公が見たがっていた絵も、この「三連祭壇画」形式の絵だったらしく*1、だから滅多に見ることが出来ない絵、として紹介されていたのらしい。そしてこの《快楽の園》に限らず、《地獄》のモチーフは何度もボスの絵に表れて、画集ではその奇怪さを思う存分堪能する事ができる。

ボスの絵に限らず当時のキリスト教美術というのは、『図像学(イコノロジー)』的な方法論の基に描かれているという。現在の一般的な絵画批評というのは、人物なり静物なりの絵を見てその技法や印象、時代性を論じるというものだけれども、中世キリスト教美術には宗教的教義を啓蒙する為の様々な”意味”が作品の中に埋め込まれており、それを”絵解き”することがこの時代の美術を理解する為に必要になるのらしい。例えば空中の手は神を表し、魚はキリストを、羊は信者を表している、といった具合にだ。だからボスの絵画に現れる、一見意味不明であったり自由な想像で描かれたものだろうと思われる事物も、実はいちいち細かな意味が込められているのだ。しかしこれは研究者で無ければ殆ど分からない事だろうし、その研究者にとってもこのボスの絵はかなり謎が多く、今でも論議されているのだという。どちらにしろ、見た目の不気味さだけではなく、そこに秘められた”意味”を読み解くということは実に興味深い。例えば先に紹介した《地獄》でも、正確には《音楽の地獄》と呼ばれるものなのらしい。確かに楽器のようなものが多数見受けられるが、何故音楽で、そして地獄なのか。いつかボスの研究書でも買ってきて、付き合わせながら再びこの絵を見るのも、また楽しいかもしれない。